振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ
✱橋蔵さまってどんな人・・ナノ✱ #投稿日2016.11.4
この掲示板をご覧になっている方皆さますべてが、橋蔵さまのことをしっているとは限らないと思いますので、ちょっとしたことを少しずつ書いて見ましょうか。その事柄から、橋蔵さまに少しでも踏み込んで興味をもっていただきたいと思います。
映画界にはいったころの、橋蔵さまのことを少し垣間見ましょう。
豊かな趣味は豊かな演技につながるものです。橋蔵さまの趣味は沢山ありました。歌舞伎の女形でしたから、三味線、琴、胡弓はお手のもの。
小唄が上手く好きでしたが、京都の旅館暮らしでしたから、口三味線で唄っていたということです。チントンシャン♪? 小唄は、しっとりとして俗気がなく、艶っぽく、江戸前の粋があっていいですよね。橋蔵さまの粋にとっても合います。
洋ものは、ジャズ、ラテン音楽、軽音楽。疲れている時は軽音楽を聞いていたようです。そういえば、ダンスもOKデスヨ。当時は各映画会社の若手俳優が集まり定期的にダンスパーティーがありました。他社の女優さんと楽しくお話をしながら踊って、橋蔵さまはタンゴも上手に踊ったようです。
ロケや帰京の電車やバスの中では、ラジオをかけ歌謡曲を聞いていたようです。好きな歌手は三橋美智也、高田浩吉、美空ひばり。
橋蔵さまの釣り好きは当時から有名でした。六代目のお伴で川釣りによく行っていましたものね。のちに海釣りも大好きでよく出かけたようでし、海にロケの時は釣道具が必ずお伴を。
勝負ごとはしません。勝負?として対戦するのは囲碁、将棋です。
コレクションは、西洋のあやつり人形、珍しいガラスのコップを集めること。
(陶芸等はもう少しあとになってから始めました。)
スポーツ万能ですが、中でも野球、水泳、乗馬。ゴルフもやりましたがお付き合い程度。野球は日大中学部から東映の野球チームでも一塁を守っていました。
水泳は釣りのお伴の時に流れの厳しいところで泳いだり、潜ったりしていますから得意です。橋蔵さまは高いところからの飛込みも綺麗に回転もして。
作品の中でも泳ぐところがありますが、泳ぎ方、泳いでいる姿が綺麗でしょう。
乗馬は、俳優になってから習いはじめたのです。時代劇俳優はちゃんと馬に乗れなければ、と時間がある時、早朝にと通っていたようです。橋蔵さまの乗り方は姿勢が綺麗ですから、ご本人が乗っているか否かはすぐわかりますね。
菊五郎劇団の若手女形であった橋蔵さまに東映は最初に白羽の矢を放ったことはごぞんじですね。
時代劇の若手スターになる人をということでの第一候補だったのです。
ところが、(菊五郎劇団や家庭の問題があり)当の橋蔵さまが乗り気でなかったため、ひばりさん主演での「ひよどり草紙」のスケジュールもあり、橋蔵さまを諦め、第二の矢が錦之助さんに放たれ、錦之助さんが一足先に映画界へ入っていったのです。
橋蔵さまは、映画界に入るまで、並々ならないほどの苦しみ悩み熟慮のすえのことでした。
「笛吹若武者」だけ映画出演し、舞台に帰ろうとしていましたが、これまでにない新しい型の時代劇俳優の姿を見たのですから、一作でファンになった人達がほおっておかないですし、東映側も同じです。そして舞台にはない映画の魅力を感じた橋蔵さま自身も気持ちがゆらぎ、ふみきりました。
もし、映画で失敗しても舞台には戻らないと。
前にも書きましたように三味線はできるし、邦楽囃子堅田流の笛も、踊りは藤間流藤間勘之丞という名取りです。映画でもそれが役立っています。女形だったとはいえスポーツで鍛えた引き締まった体格で、美剣士を演じるのですから文句なしです。
橋蔵さまはご自分で目が小さいことが嫌いだといっています。
橋蔵さまの場合 顔が小さい方であること、目が小さく、唇が小さいため、メーキャップでメリハリをつけても舞台ではどちらかと言うと効果がでないマスクだったのですが、スクリーンでは大変に効きめがあって、この世にこれほどの美男はいないだろうという輝きをあらわしたのです。クローズアップの場合、このメリハリの効果があらわれます。目元を大きくしたり、切れ長の目にしたり、橋蔵さまは本来の端正な美貌に加えてこのメーキャップでグッとファンの心を掴みました。本当に、アップの橋蔵さまは綺麗です。綺麗だからアップが多いのです。メーキャップの上手さは本当に感心してしまいます。
橋蔵さまの真剣に鏡と向かい合っている姿が浮かんできますね。鏡に向ってだんだん役柄に入っていく橋蔵さま。素顔の橋蔵さまには気軽に声をかけることができるけれど、化粧をした橋蔵さまに見つめられると何も言えなくなってしまいいますよね。
その橋蔵さまですから、素顔とのギャップがあったので、大部分の人が「えっ、この人があの大川橋蔵?」とびっくりする人が多かったですね。
当時も、普段背広姿でいると好青年のサラリーマンに見えるので気がつかなかった人たちが多かったのです。そのためショッピングや映画にも気軽に出かけられたようです。そこへ時々伊達メガネを掛けるので余計に分かりません。
1956年6月10日第一回「橋蔵まつり」の開催された国際スタジアムにつめかけたファンがスタジアムを二巻きにしている時の話を少しですが次にいたしましょう。
✱橋蔵さまの魅力のひとつから・・✱ #投稿日2016.11.12
橋蔵さまってどんな人・・・ナノ の続きとまいりましょう。
当時、普段背広姿でいると好青年のサラリーマンに見えるので気がつかなかった人たちが多かった、と書きましたね。
1956年6月10日第一回「橋蔵まつり」で”若さま侍”の一コマを上演するということで依頼されたシナリオライターが当日見た光景です。
その前に、彼はその打合せの時、初めて橋蔵さまに会ったそうです。
📍『ちょっと僕は驚いた。あまりにも役者らしくないからである。この人が、丁髷をつけて、剣をとると、あの颯爽たる大川橋蔵になるのかと思うと、何だか不思議な気がした。素顔の橋蔵君は、そんな第一心象だった。』と言っていました。
前日に立稽古を簡単にしていたが、当日開演前に稽古をするというので国際スタジアムに出かけた時のことです。
もの凄い人垣がスタジアムの前の広場に群がり、行列は両国橋の近くまでになっていたそうです。第一回の「橋蔵まつり」を祝って各社の人気スターもゲスト出演するので、ファンの熱狂ぶりもすごい。開場前の広場にスターの自家用車が止まるたびに、〇〇よ、〇〇だわ、と車のまわりへ殺到する、大変な騒ぎ方だったようです。
この騒ぎの最中に、まことに妙なことが起こったのでした。彼だけが気がついたことで、誰もしらなかったようだったと。
📍『橋蔵ファンの人達が、ゲストスターの到着するたびに取り囲んで熱狂している時、当日出演者の控室になっていた国際スタジアムの前の旅館から橋蔵君が出て来たのです。そして、橋蔵君は大騒ぎをしているファンの人波の中を平然とした態度で「ちょっとすみません」とか何とか言いながら巧みに掻き分けて、スタジアムの事務所の方へ歩いて行ったのです。ところが、誰一人それを知らないのです。自分たちが見に来ている当の橋蔵君がすぐ傍らを通っているのに気がつかないのです。まさかそんなところを歩いているとは気がつかなかったのでしょう。
橋蔵君は、ゲストのスターが自分のファンにもみくちゃにされている間に、悠々と事務所に入ってしまった。橋蔵君が、ファン心理の盲点を突いたような光景を目撃して、本当に変な気がしました。もしファンの一人が橋蔵君に気がついたらどんな騒ぎになっていたのでしょう。
恐らく橋蔵君は一瞬のうちにファンの攻撃をうけてクタクタにされてしまったに相違ない。』
どうして、あんなに大勢の人達が、一人も橋蔵さまの通ったことを知らなかったのでしょう。彼にはそれがよく分かったそうです。
📍『橋蔵君は背広を着て道を歩いていると、いかにも当たり前なサラリーマン風の青年なのだ。強烈な個性を感じさせないかわりに、我々の身辺によくいるような、親しみやすい好青年である。だから、ファンもうっかりしていたのだろう、橋蔵君の魅力はこの辺にあるのではないか。』と言っていました。
📌 私も、背広姿の橋蔵さまにお会いしていますが、そう思います。
あの映画の橋蔵さま、あの舞台の橋蔵さま、とは違って、素顔の橋蔵さまはとってもお優しい年は離れているがお兄さまのようでしたね。映画スター大川橋蔵はもちろん素敵ですが、それでは近寄りがたいですね。優しい人懐こい素顔の橋蔵さまがあったればこそ、当時大衆に受け入れられる何かがあったのだと思います。素顔からのぞく橋蔵さまのひとつひとつが・・・映画の中にも・・・。
💛 私は、役の上の橋蔵さまに今でも映像で魅せられているのは当然ですが・・、橋蔵さまを想い出すときは、やはりお話をしたりして直に接した時の素顔の橋蔵さまが大きな財産になっています。だからこそ、作品にもっと深く入っていこうとする気持ちが自分の中で多いのではないかと思っています。