藤娘
見ました、見ました!もう一度「あやめ浴衣」を見ようと思い、YouTubeを見たら、
「藤娘」も見る事が出来ました。本当に舞姿が美しいくて、なんと表現すればよいのやら。
地方の三味線の揃っている事!さすがプロの演奏ですね。目と耳の贅沢です。
邦楽いいですよねー
コロナのおかげで⁉、筆ペンも習い、目標の初段までいきましたので、日舞に挑戦です。
笑われそうですが、今月京都検定の3級の試験にトライ。
日舞も京都検定も、本当に覚えられなくて四苦八苦しています。
何か目標をもって生きようと、思い立ったのはいいですが、仕事をしながら、勉強は若い時の4、5倍かかりそうで、正直検定は自信全くありませんが...
(小さい声で頑張ります)
♠浅んちゃん 様
舞台はやり直しがききませんから、毎回毎回が真剣勝負、一回一回を最高の舞台にしていくのですから、一人でもとちれば大変、踊り手の調子も見ながらの演奏ですから皆さん流石プロです。生の演奏で聞いているとジーンと響いてきていいものですね。
舞踊によって、舞台の形によって囃方の配置が換わると、また違った聞こえかたになってきますから楽しみがあります。
浅んちゃん様の意欲はすばらしい。ご当地検定に挑戦中なのですか。京都は魅力あふれるところが沢山ありますから、学びながらより深く知り、より深く感じとり、京都の知られざる所でここはと思うところなど教えてください。上を目指す楽しみがありますね。
目標を達成すること、それが全部できればいいことはないですが、目標に向って頑張ろうという気持ちを持ち続けることが大事だと思うのです。
私は、終の棲家は京都にと思っていました。若いころは、気分を変えたくなると、ひとり旅によく京都を旅したものです。橋蔵さんが住んでいたこともあり、後援会でのこともあり、また私が学生時代に出入りしていたしコード会社でも後援会の手伝いをしていて、京都へはよく行っていたものですから、私の京都への気持ちは観光客ではないのです。
🐦橋蔵さんは小さいときから踊りの素質がありましたね。それは、柳橋という花柳界の土地に生まれ、橋蔵さんの祖父母や母親の環境の血筋を体に持っていたのもひとつの利点かもしれません。6歳のとき藤間勘十郎さんに踊りの手ほどきを受けています。そして、6代目が避暑に行っていた信州へ行くまでの間に、勘十郎さんの家に居候していました。紫さんや大助さんと兄弟のようにして。その期間に芸の大切な栄養になるところを吸収し、橋蔵さんの舞踊という芽が大きく育っていったのでしょう。それを見て六代目は稽古をつけてやろうという気になったのでは。
踊りの会で「山姥」を上演のとき、橋蔵さんは金太郎に起用され、柔らかいこなしと筋目のいい振りで、周りを感嘆させたということです。
それは、橋蔵さんが藤間勘十郎のもとで、ひじょうに初歩から親切に教えてもらい、六代目の厳しい稽古を見て体に叩き込んできたことが、後の橋蔵さんの芸に現れているということでしょう。芸、日本舞踊は橋蔵さんの人生の糧になっていたのかもしれません。
橋蔵さんの勘のよさと習得の素晴らしさがそこにはありますね。プラス、スタイルがよく
顔立ちがいいとくれば・・・・皆様、おわかりになりますよねえ!!