振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ
✱その時、橋蔵さまの心に過った思い✱ #投稿日2017.3.19
第一回東映歌舞伎、今回はこの時橋蔵さまの心を過った思いを書きとめて幕としたいと思います。
7年ぶりの舞台。明治座の檜舞台を踏みながら、7年の月日を一瞬のうちに吹き飛ばし、身の引き締まるような感動を覚えたのです。
キイの音と共にスルスルと引き幕が開けられ、シーンと静まり返った客席に潮騒のようなどよめきが起こるあの一瞬。7歳で初舞台を踏んでから、東横ホールでの最後の舞台まで、あの一瞬に俳優としての全てを賭け続けてきました。
芸道の鬼と言われた故六代目菊五郎の養子として育てられ、幼い日の夢も、思春期時代の心のときめきも、すべてが一切舞台によって支えられていました。
物ごころつかない幼い頃から俳優だった祖父に抱かれ、化粧部屋で舞台から遠く聞こえる三味の音を子守唄のようにしてまどろみ、激しい芸への精進をごく当たり前のように受け取っていたのです。
着物を着ていたのでは本当の型が分からないと、寒い冬の日でも裸にして厳しく教え込んだあの養父の芸への闘志。厳しすぎると恨み、激しすぎると泣いた、当時の未熟な自分の姿を、今はいとおしむように思い出しているのです。
こんなにまで愛した舞台への決別。幾晩も幾晩も眠れぬ夜を送った末、未知の世界への果てしない期待に、ついに過去の生活を断ち切る決意をしたのです。
最後の舞台は、東横ホールでの三社祭。若手俳優の集いににつかわしく明るい舞台であったにもかかわらず、僕の目は涙にくもり客席が遠くかすんで見えたのを覚えています。
芝居がはねた後、僕はたった一人で、人気のない舞台の上にたたずんでいました。
じっと耳をすまし、どこからか聞こえてくる客席のどよめきをとらえようと何時までも去りが邸思いにとらわれていました。
久しぶりの舞台に、無ねおどろかせながら、過ぎ去った昔を懐かしんでいるのです。
毎日を懐かしさと熱意でつとめている今日この頃です。
1962年8月からある期間毎年行われた東映歌舞伎を通して、橋蔵さまの舞台に対する思いが強くなっていったと思います。これなら今からでも以前のように舞台を踏むことはできると・・。そして、まわりも橋蔵さまの芸を見逃さなかった。
興行的に歌舞伎役者としての演目もでき、大衆向けの演目もでき、今一番客を呼べる橋蔵さまに松竹はアタックしていたのでしょう。映画界から一歩引いた橋蔵さまを放っておくわけがありません。そうしてテレビの「銭形平次」と共に、橋蔵さまの舞台にかける気持ちも大きくなっていった。ご自分の大好きな舞台で、忘れることはなかった歌舞伎の演目を入れて、ご自分の芸に磨きをかけていくことが出来る。六代目の得意とした舞踊も演じることが出来る。ですから、忙しいスケジュールを押してでも、舞台をやり通したのですね。
やはり橋蔵さまは、歌舞伎役者を自負していたのですね。
画像は、第一回東映歌舞伎「花の折鶴笠」の中での幻想シーンの舞踊から
北条きく子さんとは、この舞台で初めて顔を合わせました。嵯峨美智子さんに似た雰囲気を持つ女優さんが入ってきたということで、育てていかなければとの思いがあったようです。
(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)