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スレッドNo.55

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱長谷川一夫が期待していた"新しい時代の二枚目"✱ #投稿日2017.4.8

橋蔵さまが「海賊八幡船」「炎の城」を撮影を終えた頃の1960年にB5ぐらいの薄い雑誌なのですが「時代映画」というのに大川橋蔵特集がでました。わら半紙?のような紙が使われていたので今となってはぼろぼろちょっとすると粉々になってしまいます。そのため、私としてとっておきたいところは、少しずつ書き写そうかと思っているのですが、なかなか細かいことなのでなかなか・・。先日、長谷川一夫さんについて書いていました時に、その特集本に長谷川一夫さんが、巻頭言を書いていたのを思い出しました。

🍀 二枚目への道   長谷川一夫
時代劇と共に生れ、その時代を守り育てて来た私たちにとって、もっとも心にかかることは、次の時代劇を担う若い人たちのことです。
戦後、各社の時代劇に次々とスターが生れ作られて来ましたが、最近、とくにこの一、二年の間に、単なるスターとしての人気(もちろん、これも必要なことですが)だけでなく、立派な時代劇俳優としての地歩を、しっかりと固めて来た人が目立ち、ほんとうに心強い気がします。
たとえば、東映の中村錦之助君、大川橋蔵君、東千代之助君、大映でいえば市川雷蔵君、勝新太郎君などに、それが著しく見えるようです。
みんなそれぞれが、会社の企画方針で(それも量産主義の日本映画ですから)いろいろな作品でさまざまな役柄を演じているうち、おのずから独自の芸風なり芸境を確立し、花やかにその競い合っている有様を見るのは、かつての第一期黄金時代ともいうべき、戦前の頃を偲ばせる壮観ともいえましょう。
その中で、むかしからのいわゆる二枚目という点で、一番ピッタリするのが大川橋蔵君だと思います。
よく他の人から、橋蔵君の芸風が私の若い頃に似ていると聞きますが、橋蔵君も私も共に歌舞伎の女形出身であること、身体つきが似ている点、そして私自身が以前から橋蔵君のお父さんの六代目尾上菊五郎氏の芸風を慕っていたことなど、いろいろの共通点から、きているのかも知れません。
橋蔵君の二枚目としての魅力は、全身のこなし―特にその眼から発散される色気だと思います。
もちろん、今後も会社の企画方針によって、さまざまな役柄をこなして行かねばならないでしょうが、その中でも特にこの二枚目の線で、橋蔵君の本領を発揮してもらいたいと思います。
私の若い頃に演った役のいくつかを、橋蔵君が再演して好評を得られたと聞きますが、それよりも私が望みたいことは、私が若い頃から演りたい念願を抱いてついに演る機会がなかったもの、あるいは今でももう少し若ければやりたいと思っている素材なんかも、大いにやってほしいような気がします。
このように二枚目としての独自の道を進んでいかれるのが、橋蔵君にとって一番自分を生かす道だと思いますし、新しい時代の二枚目として大成されることを、心から期待しているものです。

📍 いかがですか、長谷川一夫さんからのアドバイスもそう、そして歌舞伎界から映画界に入ってからも、悩んだ時に相談にいっていた仁左衛門さんもおっしゃっていたことでしたが、橋蔵さまの魅力は二枚目が持ち味、何があっても二枚目の線でやり通すこと、と言っていたようですから、映画の流れがどのように変わろうとも、橋蔵さまは二枚目でなければいけなかったのです。会社の方針もあり、ご本人の野心作に動かされる気持ちもあり、1963年頃からちょっと二枚目路線から少し外れてしまいましたね。スターを必要としない作品が多くなり、汚い感じのものが多くなりました。1963年に長谷川さんが映画界を止めて、舞台に行き、1964年にNHKの「赤穂浪士」をやっています。映画スター長谷川一夫さんがテレビへ出てきて視聴率をとっている。1964年はテレビ時代到来、多分この様子を見ていて、フジテレビは先を読んだのでしょう。
フジテレビは東映に持ちかけていた、大川橋蔵での「銭形平次」の話を。だが東映側は断っていた、橋蔵さまも100本は映画を撮りたかったでしょうしね。大川橋蔵がどうしてもダメなら里見浩太朗さんでとフジテレビは声をかけたようですが、里見さんも撮影条件が合わずいい返事をしなかったようなことを聞いたような・・それでもフジテレビは諦めず待っていて実現したけれど、この話をその時受けていたならどうだったのかしら・・・まだ、受けていなかったらどうなったのかしら・・・?
そうそう、東映の東映歌舞伎も、東宝が長谷川一夫さんを中心として、東宝歌舞伎として1955年からやっていたのに感化されて始めたところが多分に多かったのでは。
そう考えて見ると、橋蔵さまの動きは、尊敬もしお手本にしていた長谷川一夫さんが時代の動きを見て動いた道と同じように動いているのです。最後の長編ドラマも「雪の渡り鳥」長谷川一夫さんの当たり役でした。もう少しご存命でしたら、長谷川一夫さんが演じた作品のリメイクをテレビでも橋蔵さまらしくやったのではないかな、と思います。舞踊家として、舞台俳優として、そして長谷川さんと同じく演出家としても活躍なさったかもしれません。
テレビでのお二人の共演もあったかも。長谷川一夫さんの後を受け継いでくれるのは大川橋蔵さまだと、いろいろ教えてくださり、やさしく見守っていてくれたと思います。
大衆を魅了した時代劇の二枚目スターは1984年4月に長谷川一夫さんが逝かれ、同じ年の12月に橋蔵さまが逝かれました。
時代劇がテレビでも下火になってきた時期でした。

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