"歌舞伎の日"に橋蔵さんに思いを馳せて
Rara掲示板から
🔹金糸雀 投稿日: 2023年02月20日 17:44:41 No.49
今日は日本伝統芸能である”歌舞伎の日”でした。
そんなこともあり、ちょっと橋蔵さんに思いを馳せてみました。
1607年2月20日、出雲阿国が江戸城で将軍徳川家康や諸国の大名の前で初めてかぶき踊りを披露した日だそうです。
歌舞伎のおこりは、1600年、京都の近衛信伊の屋敷に招かれ”ややこ踊り”を披露し、1603年に阿国が”かぶき踊り”を披露しています。
この”かぶき踊り”が様々な変換をして現在の歌舞伎が出来上がったというわけです。
しばらくすると幕府から風俗を乱すという理由で女役者は禁止され、少年による若衆歌舞伎に替わり、これも風紀の乱れのもとになると
成人男性が演じる野郎歌舞伎へと発展し、その後自然な流れとして女性を演じる女形が生まれたということになります。
女性らしい体つきに見せるため、肩を下げて内に入れ、歩幅を小さく内股にし、歩くだけでも、肉体的にきついものです。
傾城のような立派な衣装の役の場合は、重さ30kgにも及ぶ衣装を身に付け長時間にわたる演技をしますから、女性には無理ですね。
年若い俳優が演じる女性は、初々しい雰囲気が本当に愛らしいですし、ベテランの俳優が演じる女性は、上品で色気があります。
また、実際の年齢と離れた役を演じても、役柄同様に可愛らしく見えるのがとても不思議、俳優自身が持つ雰囲気によるものが大きいとは思いますが、
歌舞伎独特の”らしい”演技がなせるわざかもしれません。
歌舞伎の世界も、いまの若い女形俳優がどう変化していくのか、またすでに活躍しているベテラン俳優がどう円熟していくのか、見守っていくのも
楽しみの一つになりますね。
歌舞伎界にはそれぞれの家に屋号があり、演技様式にも上方では「和事」江戸では「荒事」と呼ばれるものが発展し人気を集め、
歌舞伎の歴史の中でもっとも古く歴史があるのが「成田屋」で、市川團十郎家の「成田屋」は荒事、尾上菊五郎家の「音羽屋」は舞踊、
片岡仁左衛門家の「松嶋屋」は東西で活躍と、それぞれの芸風を見比べながらの歌舞伎見物も楽しみの一つになりますね。
・・・ぐたぐた書いてしまいました・・・
橋蔵さんの特別公演が終了した時点で、私は歌舞伎座、明治座から足が遠くなりました。今はテレビで放送される芝居や舞踊や能等の番組から、
今の日本の伝統芸能を見せていただいています。
橋蔵さんは舞踊を得意とする「音羽屋」に於いては大事に育てたかった俳優であったでしょう。
しかし、梅幸さんも6代目から教えをうけ芝居、舞踊は上手かったようですし、5代目菊五郎いや6代目の隠し子と噂があったようですし、
順番からしても橋蔵さんが菊之助、菊五郎を継ぐのはよほどのことがなければ無理なことでしたね。
全盛時代を迎えていた時代劇映画が即戦力になる歌舞伎俳優を探していたとき、同じ舞台の仲間が映画に移って成功していたことも、
橋蔵さんにとっては幸運なときだったと思えます。
10年単位で歌舞伎、映画、テレビと移り変わり環境を違えてきた橋蔵さんでしたが、テレビでの銭形平次は長すぎました。
家庭を持ったということと、一年に取り組む舞台特別公演をやっていくための決断だったと思っています。
舞台公演も大川橋蔵一枚看板での特別公演は、銭形平次を掲げることにより成しうることだったのだと思います。
スポンサーがいなければどうにもならない世界ですから。
それでも、橋蔵さんは尾上を襲名して歌舞伎界に残っていたら、どんなふうに芸能界で取沙汰されるまでになっていたのだろうと、考えがよぎりました。
当時歌舞伎が上演できる劇場が少なかったことは歌舞伎役者には致命的です。 再開したばかりの新橋演舞場と新装になった歌舞伎座しかありませんでした。
収入減となりますから、菊五郎劇団も、映画に出演したり、新作歌舞伎の上演をして新たな観客層を開拓しようとしたのです。が観客の目当ては
團十郎、梅幸、松緑の3人だけで、橋蔵さんにはこれが良くなかったのです。3人の演目がずらりと並ぶのは当然。
幕開きに羽左衛門か松緑の時代物、梅幸の舞踊が中幕、キリは團十郎と梅幸の世話物と出し物は決まっていて、橋蔵さんの出番はほとんどありませんでした。 時代物、世話物、どちらの芝居に出ても梅幸のサブの役しか回ってこないし、任されても中幕の舞踊がメインです。
その橋蔵さんに映画界入りを決心させたのは、東映、新芸プロサイドからの熱心な説得と、六代目菊五郎の借金返済のためだったと言われています。
最初の3本ぐらいの映画までは歌舞伎に籍を残しての映画出演、本人は名前を知ってもらうためにという気持ちで、歌舞伎に復帰するつもりでいました。
それが映画に専念することになったのは、映画で絶大な人気を博してしまったから、皮肉なものですね。
歌舞伎に帰る場所が無くなってしまった錦之助さんや雷蔵さんの場合とは違い、帰れる場所があった橋蔵さんには歌舞伎役者としての雰囲気が、ずっと残っていたように思われます。
✋(画像をクリックすると拡大できます)
画像は、もう皆様ご存知の「伽羅先代萩」六代目と橋蔵さん