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スレッドNo.69

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱ 異色作品の企画はすべて×に✱ #投稿日2017.6.15

「まぼろし天狗」喬之助のニヒルさといい目の使い方といい、素敵ですね。
周馬もうぶな風でよいのですが、私もやはり喬之助の方がよいですね。

「まぼろし天狗」・・私はやはり何回見てもここは捨てられないところです。
逃げ込んで来た周馬をかくまい通すときの喬之助。
細い崩れ落ちそうな橋の上での不気味な按摩との凄絶な立ち廻り。
すれ違いざま、仕込杖から白刃をひらめかして斬りつける按摩を一刀の下に切り倒す凄絶な立回りが、橋蔵さまが今まで見せなかったスピーディーな立回りで息を飲みます。
暗闇でやくざ達に襲われるが、掘割に叩きこんで「そこでしばらく頭を冷やせ」と言って小唄を歌いながら行くところ、良いですね。
周馬に惚れているお艶を周馬になりすました喬之助が騙していたが、落ちた洞窟で周馬と思い愛を打ち明けるお艶が喬之助の体にもたれかかった時、違うと分かる場面・・橋蔵さまと桜町さんのくどくない絡みも良いところですね。
この場面の前後で喬之助が着ている着物の柄・・・素敵ですよね。よ~く見てください。さすが、橋蔵さまは着こなしてしまいます。

前にも書きましたが、この時の橋蔵さまは、「橋蔵のやくざ判官」をそろそろ撮り終えるころで、6月の暑い日に作品の最終で見せる立回りときちっとした紋付き長袴でのお白洲の撮影、そして東映歌舞伎の打合せと忙しい時でしたね。
「天草四郎時貞」「恋や恋なすな恋」と芸術づいた橋蔵さまが、娯楽時代劇に戻った1962年8月の作品です。まだ、1962年は橋蔵さまの作品も良かった。この後から、時代劇のたどる方向がおかしくなっていきます。橋蔵さまが演ずるような綺麗な時代劇では映画館にお客様が足を運ばなくなっていきます。
そこへもってきて「天草四郎時貞」は興行失敗 。この作品の失敗で、大島渚監督は映画界からしばらく遠ざかりテレビ界に移ったはずです。
本当は、松竹から東映への移籍しての橋蔵さまで撮る第一作は秋ごろに撮影に入る戯曲で有名な「なよたけ」だったらしいです。でも、「恋や恋・・」が前もって決まっていたので、同じような作品が続いてやってもということで没になったようです。

京の都に住む青年の文麻呂は、ある日友人から恋の悩みを打ち明けられるが、文麻呂も友人が恋している人に恋してしまう。
この腕になよたけを抱いたは夢なのか?若者の愛と幻想から生まれた「竹取物語」。
日本最古の創作物語である「竹取物語」はこうして生まれた。作者未詳の、いわゆる「かぐや姫」として親しまれている物語は、いったいどのように生み出されたのか。石ノ上ノ文麻呂という青年の魂の彷徨を、みずみずしく豊かな想像力で構成したものがたり。現実の人生のなかで現身のなよたけを失うものの、「竹取物語」を完成することによって、永遠のなよたけを手にいれる・・・・。
この作品であったらどうだったのでしょうか。
この作品で大島監督が橋蔵さまの魅力をどのように描こうとしたかは分かりかねますが、「天草四郎」のようにはならなかったのではと・・・。この作品が映画化されていたら、その後の橋蔵さまの作品はどのように変わっていったのでしょう・・・。見てみたかったです。

1962年後半から、橋蔵さまに予定されていた異色作品が5~6つ候補がありましたが、全部作品にはならなかったと思いますが。どんな原作が候補に上がっていたか、そのうち何かの機会に書きますね。
題名から、原作から、素晴らしいものがありましたのに残念でした。どの俳優さんも同じですが候補作品は幾つあっても、脚本がうまく作れないものは商品になりませんから。

私は、今日はリアルタイムで11時から「血槍無双」見ていましたら、ちょうど吉良邸討入のところで会社の子が来まして、この作品を見たいと言いますので、急ぎの仕事が一段落したところで「血槍無双」を一緒にもう一度見て過ごしました。
十平次が吉良の思い人お欄のもとへ行き、吉良が松坂町にいる日を聞き出すために、お欄の愛に答えようとしたところまで・・やはりここまでが私の好きなところです。夜泣きそば屋としての町人の町人言葉と所作、武士と分かっての町人姿での言葉と所作は、橋蔵さまの素晴らしいところですもの。ここは何度見ても飽きません。

画像は、「血槍無双」から町人としての平次(十平次)です。橋蔵さまのこういう感じいいですね。
(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)

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