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スレッドNo.78

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱四方山話・・帯に短し襷に長し✱ #投稿日2017.9.9

(1958年5月頃の雑誌特集記事から抜粋し、私なりの解釈と文章でまとめています。)
ご存知の方はまあまあ、こんな記事が載っていたのを知らなかった人は読んでみてください。

🏠今回は、当時の橋蔵さまのお住まいの様子です。
《理想通りの家ってないものですね》
映画界入りしてから丸三年、この頃橋蔵さまは京都で旅館住まいをしていました。
橋蔵さまの住居は東京にありましたので、不平ひとつ言わずに旅館住まいをしていた橋蔵さまだったのです。
(今なら、マンションを住まいをするところでしょうね。)
★旅館での橋蔵さまは女中さん達からどのように思われていたのでしょう。
「大変規則正しい人で、身のまわりもいつもきちんと整理され、手がかからないので、とても楽です」とおっしゃています。
橋蔵さんが朝から撮影がある日は、6時半ごろに起きて、お風呂に入り、洗面を済ませ、食事をして、車に乗ってスタジオへ、というまでの時間は20分位、車を待たすことはほとんどないといいます。★
その当時の様子からも、橋蔵さまの人間性がお分かりになりますでしょう。

東京には、芝公園に義父の六代目が住んでいた洋風のモダンな平屋建ての住居がありました。義兄の九朗右衛門さんもその当時はご一緒でした。橋蔵さまはほとんどが京都ですので、芝のお家に橋蔵さまの姿を見かけるのはまれなことでした。
★「もう京都がほとんどだし、この辺で京都に家でも建てたらどうですか」と最近では人からすすめられ通しです。
大川橋蔵といえば、もう押しも押されぬ東映の人気スターですし、この頃のように訪れる人の往来が激しいのでは、旅館住まいも不便を嘆くことが多くなったようです。
「笠原くん。どっか家を探そうや・・」
橋蔵さまも、ようやく半年位前から乗り気になったようで、笠原マネージャーと真剣に家探しをはじめていますが、「帯に短し襷に長しで、なかなか理想通りにはゆかないね」とこぼしています。
もし橋蔵さまが新しい家を作るとしたら、きっと立派なお風呂を作るのではないでしょうか。
橋蔵さまは大のお風呂好き、撮影所から宿に帰ると真っ先にお風呂に飛び込むからです。江戸っ子らしくお風呂も早いのです。★

橋蔵さまのいた部屋は、ベランダ付の六畳で、三面鏡、レコードプレーヤー、洋服ダンス、沢山のお人形、橋蔵さまの大きな額入りの扮装写真、がすぐに目についたようです。

京都でもう一つの住いというと、スタジオの部屋です。
1958年一月に、東映撮影所内に俳優会館が出来上がり、橋蔵さま専用の部屋もでき大喜びでした。
壁には、義父六代目菊五郎丈の写真を飾ってあり、毎日それを芸の鑑として励んでいました。五月頃から壁の一隅にご自分の気にいったポートレートを五枚、額に入れて飾りました。全部素顔のポートレートで、それぞれに動きのある写真で、大変気に入っていたようです。

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