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スレッドNo.86

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱ ちょっと一服・・関西で「橋蔵まつり」(1)✱ #2017.9.26

投稿をしていただく橋蔵ファンの皆様、そして投稿は難しいけれどいつも楽しみにして訪問していただいている皆様、夏の疲れと寒暖の差が激しかった気候でお身体にお疲れがでるときですのでお気をつけください。暗くなるのが早くなりました。何となく物淋しくなります。
今週後半から数日間関東は低温注意報が出ていますし、温かくしてお過ごしください。私はお彼岸のあと、冬用の寝具の用意をしてしまいました。

少女時代を橋蔵さまと共に育ってきた私達は、今の年齢で作品を見ても、あの頃と変わらぬ憧れに浸れることは嬉しいことですね。憧れというものは年代と共に薄れ変わっていくものなのですが、橋蔵さまの魅力はすごいと思います。永遠の憧れの人で、素敵なお兄様なのです。

さて、ブログの方の「ふたり大名」が書き終わりましたので、その頃の橋蔵さまのご様子から、
1957年5月28日に「ふたり大名」が封切になりました。
その頃橋蔵さまのお姿は・・東京にありました。5月31日には藤間谷鹿追善舞踊会が東京歌舞伎座であり、藤間紫さんと「蝶の道行」を踊られました。(右の画像・・橋蔵さま綺麗ですね)
そして、大阪へ。6月2日には東京国際スタジアムで前年好評であった「橋蔵まつり」を、いよいよ関西の難波の体育館でも開催しました。
演目は東京と同じく「若さま侍」と「藤娘」と「歌」でした。大勢の応援出演があり前回にも増す大盛況。
(敬省略)北上弥太郎、伴淳三郎、嵯峨美智子、千原しのぶ、浦里はるみ、星美智子、伏見扇太郎、東千代之介、大友柳太朗、美空ひばり、雪村いづみの皆さん、京都撮影所所長の祝辞があり、またまた橋蔵さまの人気は上昇していきました。
2回目には、入りきれないので、チケットを払い戻すという騒ぎまで起こったということです。(左上下の画像は「橋蔵祭り」での藤娘・・グラビアからではない小さいものからなので、ちょっと分かりにくいかも、ひとつは余分なところをぼかしてあります。)

👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)

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