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スレッドNo.99

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱橋蔵さまを易から見た将来は?・・②✱ #2017.12.4

前回の続きとなります。

今回は、映画人として、個人としての橋蔵さまを占っています。
当時、ファンが気になっている結婚についても話しています。
私としては、橋蔵さまの結婚について書くことは気が進まないのですが、個人的観念は抜きにして書きだしました。(ああ、やっぱり・・と思うこともありましたが)
しばらくして、橋蔵さまの結婚問題が数年、マスコミを賑わし、ついには橋蔵さまの俳優人生を脅かすまでの記事が溢れました。そして時代劇映画も衰退していき、やくざ路線にいってしまった東映に、橋蔵さまの主演映画はなくなっていました。その頃、家にいて娯楽を楽しめるテレビが時代劇制作をとテレビ界が動いていました・・・フジテレビが、その時おかれていた立場の橋蔵さまのいろんな面から、いいチャンスと思ったのでしょう?か、橋蔵さまにもオファーがありました。でも、しばらく東映側も橋蔵さまも断っていたようです。・・・しかし、いつまでも、時代劇映画が撮れないのでは・・・フジテレビは橋蔵さまがだめならと、ある俳優さんに声をかけてもいましたが・・。周りの人もこれからはテレビだと言い、橋蔵さまも当時おかれた状況から将来を考え、踏み切ったのでしょう。橋蔵さまがテレビに行くということを耳にした東映の人達や俳優陣は、何故、やはり、と陰でいろいろな事が流れたようです。お茶の間に出るには、身辺を綺麗にしなければならなかった。そのため、慌ただしくマスコミに正式に結婚という場を設け決着をつけました。
✐(数年かかって橋蔵さまが出した結論でした・・当時聞いて喜ばしいことなのですが・・・)

では、当時の易からの橋蔵さまの今後の人気と結婚は
★今後の人気
今現在(1957年 28才)盛運の一途をたどっており、まだまだ伸びます。
年齢的には、50才(1979年)迄は好調ですが、特に、42才(1971年)迄素晴らしい運気を持っています。ただ、昭和34年(1959年)は、彼の個人的にみた運気の一大変化のある年ですから、よい意味にも悪い意味にも充分の注意が必要で、これはファンに変わって橋蔵さんに一言申し上げておきます。
勿論、33年(1958年)、34年(1959年)は橋蔵さんにとって発展の時ですから、ファンからみた人気のめんでは今よりも素晴らしいのですが、橋蔵さんには一つの個人的変化の時となるのです。おそらく、芸の上の悩みと家庭(結婚)の問題でしょう。
昭和34年(1959年)は芸の上で転機を迫られる年です。
自分から成長への一つの大きな飛躍の年で、(聡明な彼のことですから)文句なしによい意味の一大変化をとげ、芸の上でも人気の上でも、大きな成果をあげることでしょう。
昭和35年(1960年)、昭和36年(1961年)は、橋蔵さんにとって注意をする年、即ち健康に注意することです。

★結婚は
橋蔵さんの結婚はどうでしょう。
昭和34年(1959年)に結婚問題がおこる可能性があります。しかし、この年の結婚話はまとまるまとまらないという点は別として、多少の問題がおこります。
前のも述べたように、昭和34年(1959年)の変化期はこうした意味からも大切な時期といえます。結婚は恋愛結婚、社交的で明るい性格のわりに、考えは地道で堅実。
ですから、遊戯的な恋愛でなく、微笑ましい清純な愛をもって結婚へゴールインすることでしょう。
結婚後は、映画人にありがちの乱れた家庭生活を送らない、非常に家庭的な生活を送る、女性の誘惑に負けない、ことなどの美点が判断されます。
(橋蔵さまのよき相性となる結婚相手の生れ月2通り、そして容貌からはふっくら型とほっそり型があげられています・・省略)
どちらかというと、橋蔵さんのようなタイプの人には、ほっそり型の方がうまくいくものです。映画を例にとって夫婦見立てをすると千原しのぶさん、嵯峨三智子さんのような人になります。
このような人と一緒になれば、彼の内向的な性格と表面の明るい社交性を、十分にくみ取って内助の功百点という恵まれた家庭生活を送ることになります。

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