2024年1月7日
こんばんは。
1月1日の午後にPCをオンにして、「新年おめでとうございます。」の定番ご挨拶投稿の予定が、未定に終わったJUNでございます。
16時すぎ、大阪の我が家でも揺れました。
2018年のガタガタッという揺れとはちがって、震源は近くではない感じの、でも、だらだらと長く、気持ちの悪い揺れ方でした。
どこかで地震が...?と、とりあえずつけてみたテレビで、大変な災害が発生していることを知りました。
趣味の私設サイトとはいえ、「おめでとうございます。」の言葉は憚られる状況で、でも、被災された全てのみなさまに...※※との発信もココでは違う気がして、言葉が見つかりません。
2024年は1月1日が『最悪』だったと言えるには、被災された方々にはまだまだ時間が必要でしょう。
阪神淡路大震災発生後すこし経った頃、おにぎりが冷たいとか、おかずがないとかの避難生活者の声がニュースに上がるよになって、若かったわたしはご近所さんと被災者の不満報道(当時は記者が避難所にはいっていって、被災者に直接マイクを向ける取材も多かった)にうんざりしかかったことがありますが、一時期支援に出ていた主人によれば、不満を言葉にできるだけでもすごい精神力だと驚かされる程に現場は酷い状況だったと聞かされたことを思い出します。
年齢とともに自分の体力低下を実感する今は、炊き出しの豚汁をおいしいねと食べてらっしゃる被災者の映像を目にすると、切なくなりますけど...動けるんだったら要求ばかりしてないで、支援者と一緒におにぎり握ってみれば?と思ってしまった『29年前の若き残酷さ』を、年の始まりに恥じることになるとは...。
イメージは、1日にお披露目予定だった鏡餅擬態のプチドラ。
輪島塗りの花器の横で、金沢五彩箔打紙の折り鶴と一緒に玄関飾りに参加させてましたが、1日の揺れで、不参加の時間が多くなってしまったオブジェです。