すっかり更新が滞ってしまっており、申し訳ありません。
12月に入ってから、目の調子の悪化が甚だしく、画面を見ているだけで気分が悪くなってしまう有様です。
眼科に行ってきたところ、少々ショックを受けるような内容のことを言われてしまいました。
年内にもう一度、眼科を受診する予定ですので、その結果如何で、サイト管理人としての決断を下そうと考えております。
<2022年12月20日追記>
眼科を受診してきまして、医者からは「最悪の状態ではない現状」を告げられました。
今後は経過観察をしていくとのことですので、今すぐにサイト閉鎖という形にはならないと思います。
しかしながら、サイト開設から20年。管理人も歳を重ねており、単純にサイト更新にかけられるエネルギー量が減っております。
これからは、少しずつ、緩やかにサイト更新をしていこうと思っています。
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大日本東京野球倶楽部及び東京巨人軍
首脳陣は下記の通り(いずれも背番号なし)
1934年
市岡忠男総監督
浅沼誉夫総監督
三宅大輔監督
1935年
市岡忠男総監督
浅沼誉夫総監督→監督
(同年途中、三宅監督退任に伴い就任)
三宅大輔監督(同年途中に退任)
翼軍・背番号なし 横沢三郎監督
1937年秋は内野手兼任
翼軍・背番号15 苅田久徳内野手
1937秋途中~40年は監督兼任
名古屋金鯱軍・背番号21 島秀之助外野手
ポジションは外野手兼監督
(1936年途中、二出川延明外野手兼監督退団に伴う)
名古屋金鯱軍 岡田源三郎捕手
背番号無しの期間は1937年春秋両季
ポジション変遷は下記
捕手兼総監督(1936〜37年)
※1937年に総監督辞任も辞任時期は不明
捕手兼監督(1938〜39年)
西日本・背番号30 小島利男監督は外野手兼任
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