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15,022

スレッドNo.26

ネル様

>お返事は、ないだろうと思っていますので、ご安心を。でも、あったら嬉しいです。

返事はするに決まっています。ただし、こちらは9カ月(前回の書き込みからは1年9カ月)も待たされたのですから、一週間くらいは間を置いてもいいかなと思って――しかし1日で書きます。私の忍耐力など、その程度のものです。

さて、息子さん、苦しい青春時代を送っているみたいですね。お母様(ネルさん)も、相手はもう子どもではありませんから打つ手もほとんどなく、不安に思いながら見守る他、道はなさそうです。しかしやはり、不安は不安ですよね。

希望の大学に入れず、“おそらく仮面浪人しているだろう”という状況、よくわかります。「自分はこんな場所(こんな大学)にいるべき人間ではない」と、等身大の自分を受け入れられずに、いつまでも勝負を続けている--それに似た男の子は世の中に山ほどいます。

俳優崩れ、芸人崩れ、ミュージシャン崩れ、司法浪人、作家志望、画家志望――もちろん俳優や芸人、作家志望の中にはとんでもない遅咲きもあるので諦めもなかなかつかないのですが、多くは30歳になる前に、才能の芽は見えてくるはずです。それでも芽が出ないならやめた方がいいのに、今度はそれまでに費やした人生が重すぎて、投資したエネルギーや時間が諦めきれなくなります。失った分を取り戻そうと、さらに損を重ねる悪いギャンブラーのような人生を送り続けなくてはならない、そういう人もたくさんいます。
(ただし、「それでも、みんな生きてるじゃん」という視点は大事です)

 息子さんも、自らの能力に頼むところは多いのでしょう。ほんとうの自分はこんな大学で終わる人間じゃない、そう思えば学部の試験に身が入らないのは当たり前ですし、来年、仮面浪人の末に志望の有名大学に合格していれば、こんな大学の成績など、全部どうでもいい話です。

そこには障害とはまったく別の、男の子によくある、昔からの「晴れ姿」だの「故郷に錦を飾る」だのといった人生観があるのかもしれません。なかなかうまくいかない人生を、一発大逆転。有名大学に合格するとか、賞をもらうとか、大金持ちになるとか――そうでもしないと、惨めな自分に押しつぶされてしまいそうになるのです。

 「男の子に」と限定したのは、こうした悪い人生を送るのは男の子中心で、女の子には少ないように思うからです。もしかしたら女の子には別の道、「いざとなったら結婚で人生をひっくり返せばいい」が残っているからかもしれません。
そんな古い人生観が今も生きているのだろうかと訝る人もいるかと思いますが、現在でも、「プロポーズは男性が片膝ついて指輪を示してやるものだ」と思い込んでいる人がいて、「結婚式にはウェディングドレスを着るものだ」と何の疑いもなく信じている人が大勢いる以上、是非とは別に、「女の子はいざとなれば結婚」という考え方は存在するものだと私は思っています。

 もちろん男の子にだって逃げ道はあります。「30歳まではやりたいことをやって、それでだめなら普通のサラリーマンになる」というものです。高度成長やバブル経済の時代の、「職種さえ選ばなければ、誰でも簡単にサラリーマンになれた時代」の遺物で、私自身もバブル経済の始まりと20歳代がほぼ重なりましたから就職は楽で、だから30歳まで遊んで、それから教師になったという面もあります。

20年に及んだ平成不況の中で忘れられていた考え方ですが、人手不足の今なら、それも復活できているのかもしれません。ただし時代が許しても、個人の資質や障害がそれを許さない(もしくは許さないだろうと思い込んでしまう)とするなら、その子は切羽詰まります。
「自分は普通のサラリーマンになれない」と思いこんでいる若者が、人生の優待券(超有名大学の学位や特別な才能、賞や、尋常ではない資金等々)からも遠ざけられていると感じたら、それは本当に必死でしょう。どう生きたらいいのか分からないのですから。

 そういう子は、ほんとうは世の中の包容力とか弾力性といったものをもっと知る必要があるのです。障害があろうともなかろうとも、多少偏屈あってもそうでなくても、何らかの問題をかかえていても、人間関係が下手くそでも、世の中は案外受け入れてくれるもので、自分の居場所は必ずある。有名大学出身だの名家の出だの、背が高いだの見栄えがいいだの、そういうことがまったくなくても、面白おかしい人生は必ずあるのであって、大切なのは人を圧倒するような力(パワー)ではなく、楽しく生きられる術なのだ、ということです。

 別の言い方をすれば、良くも悪しくも、他人はキミのことなんか気にしていないよ、ということです。たまに何か言うことはあるかもしれないけど、それは瞬間的なできごとで、継続的には無関心なものさ、わざわざ絡みつくような人間関係を持ちかける人はそうはいないし、いたとしても特別の対処の仕方がある、それを学ぶことさ――ということです。
ただし、そうしたことは教えられる問題ではなく、自分で経験して学んでいくしかないことだと私は思っています。

 もしかしたら的外れな話をしているのかもしれませんが、私にはネルさんの息子さんが、半世紀前の自分にそっくりな気がして、ついつい自分の経験を語る気になったのです。私も等身大の自分を受け入れるのに十数年もかかってしまいました。ほんとうに受け入れたのは、教員になって、結婚して、最初の子どもが生まれた35歳くらいの時でしたから20年以上も、自分を認めなかった計算になります。

 この話、とんでもない方向違いかもしれませんが、そうだったとしたら、それで一つの可能性が消えるわけですから、それはそれで意味あることでしょう。

 ネルさんにしても、
>私がいなくなったら子どもが困るだろう、というモチベーションだけで生きています。
とおっしゃいますが、私の二人の子はそれぞれ25歳の時には私を必要としなくなりました。下の男の子などは、金銭的には25歳まで面倒をみましたが、精神的には20歳の時はすでに、親の必要性を感じなくなっていたはずです。今や二人も手の届かないところにいます。子どもはあんがい早く巣立ちますよ。

 まだ配偶者がいますので私の存在理由も失われずに済んでいますが、ネルさんもそろそろ次の時代の準備をしておかないと、意外な計算違いになってしまうかもしれません。
子どもには必ず居場所があります。子どものことを心配しないで済む、あるいは心配しても何もできなくなって、考えないでいる時間が圧倒的に長い、そんな時期が必ず来ます。そのあとの配偶者との距離の取り方、自分自身が死ぬまでにどんな生活を続けるのかといった計画、そんなものにも、そろそろ手を付ける時期かもしれません。

また来てください。
明日でも結構ですし、1年後でもかまいません。私は、忘れずに待っています。

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