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ネル先生、こちらこそ有り難い

 お礼など必要ありません。
 かつてはこの掲示板が私の主戦場で、誰かが何かを書いてくださるというのは「お題」をいただくようなものだと心得ていました。本当は自分の周辺に自分で「主題(お題)」が発見できればいいのですが、なかなかそういう訳にはいきません。日ごろいつも考えているように、私の大きな弱点のひとつは年号や人の名前といった「無意味つづり」が覚えられないこと、そして「問題に気づく能力」の弱さです。他人が困っていることや周辺の問題性に、なかなかピンと反応できないところがあります。“ボーッと生きている”のでしょうね。
ですから何かを話してくださる方は大歓迎です。さて、今回のお話について--、

 ネル先生も色々抱えておいでのようですが、
>おかげさまで、学級経営は上手く行っています。
 この側面の一勝は大きいですよね。それしかなくてもいいくらいなものじゃないですか。

>生徒指導部の後ろ盾がない中で、自分一人で問題を全て解決し、全く気の休まる暇がなかった2年間でした。
 これだってすばらしい。教育は厄介な仕事ですから一人で問題が解決できるようになるまでに、相当な熟練が必要なのです。
「たいていのことは何とかなる」とタカをくくっていられるだけの実力を蓄えたことは、それだけでも喜びです。私も40歳代のどこかで、「あれ? 大抵のことは何とかなりそうだぞ(何とかならないことは、誰がやってもうまく行かないことだ)」
と思えるようになって、そこからは人生が楽になりました。学校だけでなく、家庭生活でもそんな感じでした。
 下手に生徒指導部が入って余計なことをされるより、一貫した自分のやり方を押し通した方が上手く行きそうです。
 さて旧暦の2023年も今週で終わり。私は二年続きの「天中殺」の解放です。実は私もさほど占いを信じない方ですが、都合の良い時だけは頼るようにしています。

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ありがとうございます。

すぐにお礼くらい書きに来れば良いのですが、なかなか遅筆で書けませんでした。

私がここに来るのは、T先生が学校という場をよくご存知で、有益なご意見が聞けると考えるからです。
メールではなく掲示板なのは、有益なご意見は私一人のものにするべきではないと思うからです。

「同僚や後輩は責任を取らなくてはならない相手ではない」とはまさにその通りです。
生徒も同僚も大事にしなければなりませんが、確かに同僚については責任を取るべき存在ではありません。
おそらくこれは、巷のカウンセラーなどには分からない感覚です。
他の同僚や上司からも、このような答えは出てこないでしょうし、そもそも、相手のことも知っているので、何も言えないでしょうね。
本当にありがたいです。

おかげさまで、学級経営は上手く行っています。
生徒たちには、「もうすぐ私大の一般入試だね。みんなが揃うチャンスは明日でおしまいかも」と言えば、みんな別れを惜しむために学校にやってきます。
他のクラスのように、推薦入試が終わって糸が切れたようにサボる生徒はいません。
ただ、生徒指導部の後ろ盾がない中で、自分一人で問題を全て解決し、全く気の休まる暇がなかった2年間でした。
生徒の一人が先日、「このクラス、僕も含めて1年の時に悪かったメンバーが集結してますよ」と教えてくれました。
確かに、一昨年度、崩れていたクラスがあったし、当時の名簿を見ると、今のクラスのメンバーがたくさんいました。
私は隣のクラスの担任で、生徒たちが「隣じゃなくて良かった」と口々に言っていたことを思い出します。
下手な手を打つとすぐ崩れるメンバーで、よくここまでやって来たなと思います。

私は占いは信じませんが、それでもエネルギーにしたことがあります。
一番思い出に残っているのは、通信制大学に入ったことでしょうか。
あまりにも何もかもうまく行かず、でも占いの本には今年から運気が上向くと書いてあったので、突拍子のない無駄遣いをしよう、と考えたのです。
今のようにネットバンキングがあるわけではないので、仕事を休んで銀行に行き、銀行から出て10万円が引かれている通帳をまじまじと見たことを覚えています。
あれが、今の自分の原点になっていることを思うと、占いを信じることも悪くありません。
慌てて確認したところ、同じ占いで、「去年は悪すぎた、今年は運気が上がる」と言っているようなので、ちょっと期待しましょう。
仕事では全く身動きがとれませんから、仕事以外で夢中になれることを探してみるのも良さそうです。

今日は立春ですし、気持ちを切り替えたいと思います。
ダメなら来週の旧正月を待ちます。
それでもダメなら、来年度が始まるのを待ってみます。

また来ます。

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土俵上を逃げ回っても、俵を割らない=上手くいかないときの頑張り方

人は呼名の数だけ人格を持っています。
例えば20年くらい前、私は家で「お父さん」と呼ばれ、両親からは呼び捨てにされ、姪たちの「叔父さん」であり、学校では「先生」と呼ばれていました。さらに細かく考えれば家で呼ばれる「お父さん」も妻と子では私に求めるものが異なり、学校で呼ばれる「先生」も相手が児童生徒であるか、保護者であるか、あるいは同僚であるか、その同僚も先輩であるか後輩であるかによっていちいち少しずつ違っていたように思います。
 私は他にも「兄貴」としての顔があり、ブログの記述者としての顔があり、SNSのあちこちで少し出している顔もありますが、生活の中ではむしろ小さな顔でした。

 その顔の数はその時期の生きて行く場面の数であって、「夫婦関係も老いた親との関係もいいが、子どもがとても厄介な状況にある」とか、「学校でも児童生徒との関係はすこぶるいいが、同僚との関係が崩れてる」とか、そんなふうに数えて、「今のところ12勝3敗だ」とか「6割アウト」だとか、全体をみる方法もアリかな、と思ったりします。

 ネル先生、
 生徒の指導に漬かれ、同僚・後輩・上司との関係にうんざりし、お母さまとの関係にギクシャクして――と、そうなると八方塞がりみたいなもので、かなりの苦戦ですよね。そういうときはもう「勝とう」などとは思わず、とにかく負けなければいつか勝機は見えてくると思い定めて、防戦一方、土俵を割らないように俵に足をかけ、ひたすらグルグル回り続ける。

 本来の持ち味が生徒に切り込んでいく生徒指導、教科指導であっても、今はひたすら「訴えられない指導」「保身の指導」。母娘関係も下手に修復しようとすればかえって傷を広げることになりかねない時期は、放置。時間が解決してくれることも少なくありません。
 同僚や後輩は――別に責任を取らなくてはならない相手ではありませんよね。放置。

 私は、結局のところ人生は運だと思っています。有卦に入っているときは何をやってもうまく行きますが、無卦に入れば5年、浮かばれないのです。
 幸い私たちには文章によって事態を「見える化」するという技があります。深夜2時近くに長い文章を書いているのは健康上、あまり褒められたことではありませんが、必要な時はそうしましょう。

 ブログのなかでも書いていますが、私も2023年はものごとがうまく行かない年でした。いいこともあったのですが、ここ数年、心にわだかまっていたことが、悪い方向で決着したりといったことが、いくつか続いたのです。
 いつの間にか四柱推命にハマっていた私の娘の見立てでも、2023年はかなり悪い年だそうですが、その23年が終わったので喜んでいたら、四柱推命は旧暦で動いているので、旧正月が来ないと悪運も消えないのだそうです。
 今年の旧正月は2月10日(土)から。それまではうまく行きませんから、諦めず、土俵を割らないように逃げ回ろうと思います。しかしそのあとも悪運が続くとしたら、元教師としての体内で動いてるもうひとつのカレンダー「会計年度」に従って、4月1日が来ないと2024年(度)にならないと考え、そこまではもうひと頑張りしようと思っています。
 また書き込みにきてください。お互い悪運を嘆き合いましょう。

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ご挨拶が遅れました。

T先生

ご無沙汰しておりました。

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

とご挨拶に来たかったのですが、年末年始は体調を崩していました。
体調というよりは、メンタルの調子と言って良いのかもしれません。
年賀状は年が明けてから、いただいたものだけに返信して終わりました。
気づいたら、年賀状の繋がりはほとんどなくなっていました。
自分が出さないのだから当たり前です。
でも、寂しい気がします。
わがままですね。

昨年は、今まで仕事において大事にしていたものが、ことごとく失われた年だったように思います。
本当に仕事が面白くありません。
生徒や保護者と会話する度、自分がすり減ります。
優しい言葉を発する度、嫌になります。
今までなら「すべては生徒のため」でしたが、今は「問題がこっちに降ってこないようにするため」です。
厳しい言葉を発することはありません。
虚しくなります。

昨年は、実の母親と音信不通になりました。
お盆に、私がお供物を持たずに帰省したことに腹を立てた母は、今までの恨みつらみを、LINEのメッセージとして立て続けに送り付けてきました。
関係ない義姉のことも長文で送りつけられました。
ネガティブなメッセージを文字で送りつけてはいけないということ、デジタルネイティブ世代なら知っていることですが、高齢の母は知らなかったのでしょう。
面と向かって「お供物は?」と言えば、「お母さんごめん。常識なかったわ。ちょっと買ってくる」で済んだはずです。
でも、LINEを開いたらそのメッセージが目に入るし、さらに幼い頃からの母に対する恨みつらみが思い出されるので、気づいたら正月も連絡せずじまいになりました。
清々しいほどに、母への未練はありません。
しかし、きっと私も我が子たちから同じことをされるだろうと思いました。
私は母によく似ているからです。
きっと私が覚えていないことで、我が子たちは私を恨む日が来るでしょう。
お正月以降、メンタルの調子がさらに悪くなったのは、そのせいです。
(あとは、お正月から災害関連の報道を見たことも、関係ありそうです。)

最近は、職場の同僚とも上手くいきません。
アスペルガータイプと思われる若手の同僚に、やんわり仕事を断ったら上の者が出てきて、そこで私の堪忍袋の緒が切れた、という事件が起こりました。
ここ2年ほど、上から言われたことを忠実に(考えることなく)守ろうとした若手から中堅に怒ることが激増しました。
怒る私が悪いのです。

何かないかな、と思います。
環境を変えたいです。
今年は、振り返ったら良い方向への転換点だった、と思えるような年にできたらと思います。
(具体策はありませんが。)

※追伸で失礼します。
さっきまで消えたいほど辛かったのですが、書いたら少しは楽になりました。
眠れるかどうか分かりませんが、少し眠れそうな気がします。

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ネル先生、ひとこと言い忘れました。

立派なベテランにおなりのようですね。
面倒くさい生徒指導部に任せず、難しい問題を解決して颯爽と去っていくなんて、格好いいじゃないですか。
世の中、できる人が仕事を多くやって、できない人が支えてもらうようにできているのです。
私がそう言うと、
「自分ばかり仕事をさせられて、不公平だ!」
とおっしゃる方がいますが、その人は有能だから仕事が集まってくるわけで、そもそも有能に生まれたというだけで。能力のない者から見れば不公平な話です。仕方がないのですね。

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またまたすみません。

 いちいち言い訳めくのは嫌なのですが、書き込み通知のメール、今度は日常使用のメーラーのspamファイルに行っていました。通常、どなたであっても1週間以上放置するということはないので、返信がなかったら何かの自己と考えてご容赦ください。

さて、生徒指導の場において、若い教員が何かにつけて手探りで、仕事になっていないというお話、とても理解できるところです。私も、生徒指導だったら何とかやり過ごしますが、現代に生きていて、まだ若くて独身だったら、恋愛問題で大いに躓くだろうな、と思ったりします。
 心惹かれる女性がいても、うっかりデートに誘って、
「オマエが誘うのはセクハラなんだよ」
とか、
「顔がセクハラなんだから声をかけるな!」
とか言われたら二度と回復できそうにありませんから、絶対に声をかけたりできないのです。
 最近のニュースで、職場結婚の復権、全体の25%とか言っていましたが、テロップのすぐ隣に「婚活アプリ25%」と同率であって、「ああ、職場で4年5年とたっぷり時間をかけてプロポーズするか、婚活アプリで全手札を晒し、前もって『変なことさえしなければ、基本的に顔だけでセクハラとか言いません!』と保障を手に入れないと、結婚への第一歩が踏み出せない時代が来たのだな」と思ったりしました。

 学校は間違えるところ、子どもはもっと間違いを犯していいなどという人がいますが、その間違いを正したり、誤りっぱなしにならないように支える仕組みが生きていないと、安易に間違えさせることもできません。
 もはや誰とも分かりませんが、世の中を動かしていこうとする人たちは、社会をどこに導いて行こうとしているのか、ほんとうに不安です。

 学校を昭和に戻すなんてことはできないに決まっている――という面はあるにしても、教職員を増やすか仕事を減らすしかない二者択一で、もはや人間を増やす方向はなくなっています。つい先ごろまでは《これだけの赤字財政で、予算を増やすことは絶対にできないから》というのが理由でしたが、そこに加えて《教員になってくれる人がいない》と言う事情が被さってきましたから絶望的です。

 あとは仕事を減らす話しかないのに、いま挙げられているのは部活の外部への移行、運動会や文化祭など歴史も定評もある行事の縮小ばかりです。形骸化した全国学テや教員評価・学校評価、誰も見ないキャリア・パスポート、道徳や総合的な学習の評価欄、結局、中学校英語の学力と生徒の意欲を下げるしか効力のなかった小学校英語、ChatGPTに絶対勝てないレベルのプログラミング学習。そうしたものをなくそうとする動きがまったくないのには驚かされます。

 生徒指導も令和は令和らしく、学校で扱うのは勤務時間内として――などといいますが、じゃあ児童相談所や警察は《学校が手を引く令和》にふさわしく、担当者を4倍~5倍に増やしているかと言うと、そんなことはありません。
 学校が手を引けば空隙ができるだけです。

 平成時代に増やしに増やした学校の仕事を昭和程度に減らし、部活や生徒指導の問題は「変動労働時間制」で凌ぐしかありません。今の制度では不可能みたいですが、部活顧問と生徒指導担当者は、長期休業はすべて代休にして一日も出勤しなくていいようにすればいいのです。もちろん長期休業中も部活や生徒指導はありますが、これはすべて休日出勤の対象として、普通の地方公務員並みの残業手当を出します。
 そうでもしないと(部活が死に果てるならいいかもしれませんが)、今より酷い中途半端なまま学校に残されかねません。
 と相変わらず私は怒っています。

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私の周りだけかもしれませんよ。

T先生
夜中に一気に書きましたので、文章に不明瞭な点があるのはご了承ください。
それから、こちらのタイミングで好きな時に投稿していますので、返事がなくても当たり前だと思っています。
お返事をいただけて、とても嬉しいです。

先日、管理職面談兼人事希望面談がありました。
校長に、うちの職員が急速に主体性を失ってきていること、私はそれに耐えられず、できれば異動したい旨を伝えました。
今の校長は、タヌキですが、基本的には良い人です。
最大にして唯一の砦である校長が来春に定年になった後、学校がどうなるか考えるだけで恐ろしいというのも、異動を希望する理由です。(とは伝えていませんが。)
校長は、思い当たるところもあるのか、何とも言えない顔をしていました。

今の勤務校がつまらない理由の一つは、生徒指導部が崩壊しているところです。
県教委から下りてきた通達をバカ正直に受け取って、ほぼ一切の指導をしなくなりました。
確かにブラック校則はダメですが、全ての髪型を許さなければならないわけではありません。
寒い日に制服のみでの登校を強要するのはダメですが、制服を着崩すのを許さなければならないわけではありません。
ですが、彼らはその匙加減が分かりません。
なぜなら、それらは彼らにとって未知の世界であるネットと連動しているからです。
また、従来の生徒指導の中で、彼らは生徒を抑えつけることしかして来なかったのかもしれません。
本当は、ブラック校則を排除した上で、教職員が組織的に生徒指導すべきです。

でも、今の勤務校の生徒指導部は全く当てになりませんから、私は一人で立ち向かいます。
先日、生徒どうしのネットトラブルで、片方の親が学校に来られました。
双方の生徒及び保護者とも、昨年度以前に学校と揉めた経歴があります。
今回も揉めることが容易に想像できましたが、どちらにもそれなりに納得していただくことができました。
生徒指導部や管理職といえば、初期の段階では動こうとせず、いよいよもう片方の保護者が学校に怒鳴り込んできた時に、やっとアリバイ作りの会議を開くだけでした。
双方に納得していただけた具体的な手法は伏せますが、とにかくそれぞれの生徒と保護者に対して、心情を理解していること、こちらも心配していること、この件に関してこれ以上ネットで言及すると傷が深くなるので、ネットへの書き込みは中止すること、を伝えました。
本来、これは学校が組織的に動く事案ですが、全部自分で片付けました。
(ネットが絡むと、トンチンカンな命令を を担任に出してくるので、その前に片付けることにした、ということでもあります。)
最後に会議で報告したので、一応組織的に動いたことにはなっていますが。

生徒の話をしっかり聞くこと、こちらが心配していることを伝えることなどは、昭和ても平成でもやっていたはずです。
そんなに生徒指導の基本は変わっていないように思うのですが。
なぜか、新時代に対応した生徒指導部にハシゴを外されっぱなしです。
何しろ、生徒の話をしっかり聞くのは時間がかかり、勤務時間を超えてしまいますから。

個人的には、やはりとりあえず昭和に戻すのが良いと思います。
平成以降に導入した数々のことをリセットするのです。
その後に、新しい時代を築けば良いのです。
でないと、若い人たちにとっては、平成以降に導入されたものは本務で、部活動や(過剰に見える)生徒指導は本務外ですから、部活動などは削ってしまうべしという結論しか出なくなります。
(追記:今は本務ですら正規の勤務時間からはみ出す分量ですから、部活動までやると、生活が成り立たなくなります。また、今の時代は女性だけでなく男性も家事をするのが当たり前ですから、「男は仕事」と生活から逃げることも許されません。)

リセットができないのなら、今の学校制度は崩壊するしかないのかもしれません。
これだけ人手不足の世の中になりましたから、一条校を出ていなくても稼げるようにすべきだという言説を見ました。
小学校の勉強でつまづいている生徒に大学受験をさせるのは至難の業です。
彼らを大学(や高校)に縛り付けるのは無意味とは言いませんが、あまり幸せではないとは思います。

長々と書きましたが、これが私の周りだけなら良いなと思っています。

引用して返信編集・削除(編集済: 2023年11月20日 06:21)

この時代の管理職でなくて良かった。

 どうやら前回、ウソをついたみたいです。そのとき、
>書き込みのあった場合のBBSの連絡先を、いつも使っているアドレスに換えておいたので
と書きましたが――換えずに放置して、今回も見逃したみたいです。ただし普段はひと月に一回ものぞきに行くかどうかというBBS、今回は3日で気づきましたから何らかの信号をキャッチできていたかもしれません。

 ただしネル先生の書き込みを開いたのは最悪のタイミングで、昨夜8時過ぎまで17日(本日)分のブログの原稿ができておらず、自宅での完成を諦めて介護中の母の家に行って続きを書こうと思って、そこで気づいたのです。
 何が最悪かと言うと、
「さあ、生徒指導の夜討ち朝駆けも部活も、今まで通り頑張ろう!」
という方向で文章を仕上げるつもりでいたのに、ネル先生が、
「上の者がやれと言ったことをつつがなく実行することが仕事だと思う教員が増えました」
ですから一気に意気消沈。気を取り直すに一苦労でした。

 でも、それが実態なのでしょうね。
 確かに、スポーツ庁は部活の地域移行をいったんは期限付きで指示し、何が何でも達成する意気込みでしたから、教師の方もおおぜいが肩の荷を下ろした気分になってしまいました。最近になって都道府県教委や市町村教委があわてて、
「地域移行はとりあえず土日休日だけだからね、それも全部の部という訳にはいきそうにないからね」
と一生懸命アナウンスを始めていますが、一度下ろした荷を再び担ぎ上げるのは容易ではありません。このままずるずると悪い方に行ってしまわないか気になるところです。

 それでも高校は私立学校が部活専用の職員を雇えばいいわけですから、全体としては現在の水準を保つことはでるのかもしれません。東大・京大・医学部レベルの受験生と国体レベル以上のスポーツ選手は私立へ、その他平凡な生徒は公立へ――、という住みわけが進むかもしれません。
 しかし中学校の部活はどうしたらいいのでしょう?

 私もいちおう校長経験者ですので悪夢にうなされます。
 それは3月の事前面接で部活顧問に穴が開き、例えばサッカー部の顧問が校内にも地域にも見つけられないという悪夢です。新年度職員会でも拝むようにお願いしてもだれも引き受けてくれない。すでに私は男子バスケ部、教頭は女子バレー部を背負っていてこれ以上、顧問になることはできない。そこで4月の始業式の日、サッカー部の生徒を集めてこう宣言するのです。
「特に3年生、きみたちは2年間よく頑張った。そして今日、いよいよ自分たちの時代だ、6月の地区大会に向けて頑張るぞ、と思って登校したかもしれない。しかし申し訳ない、サッカー部は顧問になってくれる先生がいないので、今日を限りに廃部となった。いまからほかの部に変わってくれてもいいし、このまま帰宅部になってもいいが、とにかくサッカー部はなくなったので、練習を続けても意味がない、大会には出られない。そこのところをよく理解して、身のふりかたを決めてくれ」
 私は逃げるようにその場を離れ、夜の保護者会に備えます。
 
 困難はそれだけではありません。当然その日から誰が顧問を拒否したか、生徒と保護者の犯人探しが始まります。部員を守れなかった私が、今度は先生を守るために狂奔するのです。そんなバカな話があるものかと思いながら・・・という悪夢。
 いまの時代に教員でなかったこと、とくに管理職でなかったことは本当に幸せなのかもしれません。

 私も教職を去ってちょうど10年になりました。現場のことがほんとうにわからなくなっています。また、様子を教えてください。
 
*それにしてもこのBBS、上下左右中、どこを見ても広告ばかりじゃないか――とあちこちいじっていたらデザインまで変わってしまいました。元に戻すのも面倒ですし、戻した方がいい感じもしませんので、このままにしておきます。
 そもそもBBSの選択を誤ったのかもしれません。

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昭和に戻れるなら…

T先生

ブログを興味深く拝見しています。
昭和の時代に戻せば良い、について、本当にそうだと思います。

平成から令和の時代に学校に入ってきたもので、教育的効果があるものは、極めて少ないように思います。
素人(大学の先生を含む)が考えて押し付けたものなんて、そんなものでしょう。
その点、部活動の教育効果は絶大です。
現場の教員(のうち年配)が部活動を手放さないのは、そういうことです。

ただ、昭和に戻したところで、悲しいかな、コンプライアンスの時代に部活動は学校では生き残れないでしょう。
教員の勤務時間からはみ出してしまいます。
たとえば、学級担任を複数にして、シフト制にするのであれば話は別ですが。
(個人的には、1クラスの人数を増やして、教員の数を同じにすれば良いと思っていますが。)

今の学校では、生徒も保護者も(生徒指導案件について)時間外は対応できない、という話には非常に良く理解を示してくれます。
入学式の時に保護者の前できっちり話しておいたからということもありますが、少し前なら、そのような話は通用しませんでした。
そして、少し前なら、学校は生徒にとって良いと思われることを(善意で)繰り出してくれるところでしたが、今はただの教育サービス提供の場です。
上の者がやれと言ったことをつつがなく実行することが仕事だと思う教員が増えました。
(少なくとも、目の前の生徒の実態には合わせる気はないし、合わせるとしたら、上の者が分析した生徒像に対してです。)
そんな学校で、上の者は大手を振って部活動をしろとは言えませんから、部活動は衰退せざるを得ません。(しばらくはのらりくらりやるでしょうが。)
少なくとも私の周りはそうなってしまいました。

私が今勤めている学校は、中身を昭和に戻したら、きっと何も残らなくなるでしょう。
誰も主体的に中身を作ろうとしないからです。
生徒を「主体性」まで評価する時代に、実は教員の主体性がなくなっているとは、大いなる皮肉です。
そんな教職員集団で仕事をするのが、私は苦痛で仕方ありません。
他校はまだマシなのではないか、という一縷の望みをかけていますが、そもそも転勤はさせてもらえないでしょうね。

一時期は、そんな気持ちを抱え込んで極限まで行きそうになりましたが、頑張りたいという気持ちを封印したら、非常に楽になりました。
面白くはないですが。

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ネル先生、学校の様子を教えていただき、ありがとうございます。

BBSに書き込みがあったことを知らせるメールの宛先が、最近あまり使っていないものになっていて気づくのが遅れました。というか、かつては「ああ言えばこう言う辞典」関係で盛んにメールを使っていたので毎日確認していたのですが、サイトはすっかりさびれて、メールを確認するのを怠るようになっていたのです。
これを気に書き込みのあった場合のBBSの連絡先を、いつも使っているアドレスに換えておいたので、これからは見落とすこともないと思います。

さてブログの方ではつい昨日、「昭和の教員に比べたら現代の教師は1・5倍も優秀」と書いたばかりなのに、ネル先生のお話ではポンコツだらけのご様子――。もっとも「平成10年前後に教採に合格して学校に赴任してきた先生たちが、あまりにも優秀で呆れた」のと同様に、「平成25年前後に教採に合格して学校に赴任してきた先生たちが、あまりにもポンコツで呆れた」ということがあって不思議はありません。
10年前と言えばちょうど教員不足の始まった時期ですから、たくさんの有象無象が合格者として名を連ね始めたのかもしれませんね。

ただし、昭和の新卒はかなりポンコツでも、私のような一部の例外を除けば、なんとか担任業務をそつなくこなすことができたのですから、今と比較してずっと余裕があったとも言えるでしょう。周りの先生たちも余裕で助けてくれました。
これからは難しくなる一方です。

>やはり私は10%は要りませんね。
>それを元手に、フルタイムの実習教諭を一人雇ってほしいです。
 確かに、そういうお考えでしたらその通りですね。 しかし10%を手放しても、「自分で判断できる人」が来るかどうかはマユツバです。そもそも来てくれる人がいない。

>あちらの国では先生は尊敬されてないと言ってました。
 その「あちら」がどこの国か分からないのですが、尊敬もされず給与も低いアメリカはやはり教員不足が深刻で、州によっては週休三日制を始めたところもあるとのこと。そこには「副業をしなさい」の含みもあるみたいで、彼我ともに大変です。
 カリキュラムぎゅうぎゅう詰めの日本では、とてもではありませんができることではないですが、ね。

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