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スレッドNo.30

枯れ木も

FUKU様

立秋を過ぎましたが、蒸し暑い日が続きます。如何お過ごしでしょうか。
時折襲う文字通りバケツをひっくり返したような雷雨には恐怖さえ感じます。明け方4時頃の雷雨では10分ほど停電する始末です。これからもより気象の状態は厳しくなっていくと思うと不安になります。どうか穏やかな日々であります様にと祈らずにはおれません。

最近何十年かぶりでベートーヴェンのピアノソナタ第31番変イ長調作品110に親しんでおります。とりわけ第3楽章のフーガですが、若いころ先生に言われた様にもっとバッハのフーガを勉強しておけば良かったと後悔せずにはおれないほど難しく感じ、挫折感を味わっている始末です。
聞き手でいた方が表現者でいるより遥かに幸福で実り多いと自身に対して文句を言うのは恥ずかしいものかもしれません。もう少し頑張ってみますが、ベートーヴェンの最後の3つのソナタは演奏技術と表現力の最も高い接点を求められる難解な作品であることは疑うべくもないとため息をつくばかりです。趣味の範疇の話しですのでたかが知れていますが。
学生時代の友人が卒業演奏で31番のソナタを見事に弾きこなしたのを聞いて以来31番には近づかないようにしておりました。人生も残り少なくなった今になって遅きに失しますが、最後のあがきか未練と言うのでしょうか、楽譜を開くだけは開く今日この頃という訳でございます。若い時の目標はベートーヴェンのソナタ全曲を一度はさらっておくでしたが、とんでもない、5分の一がやっとの有様です。正直に恥をさらしております。もちろん最初から告別やハンマークラヴィーアは勘定に入れておりません。演奏不可能です。

今、オープンリールデッキでテープを再生しながらセルジュ・チェリビダッケの1970年代からの演奏を聞いております。当時FM放送でチェリビダッケの演奏がオンエアされておりましたので一生懸命テープデッキを回したのが懐かしいです。これらの演奏は今では正規盤としてCD化され購入出来るのは何よりだと思います。
個人の感想ですから気にしないで頂きたいのですが、オープンリール38cm2トラックで録音した音はエネルギー感と臨場感に大変優れていてタンノイで聴くのにふさわしい音源だと感じています。FMの音は良くないのではと言うご意見もおありでしょうが、特別に調整していないと思われる放送音源は大変リアリティーを持って聞こえます。コンサートホールの雰囲気がそのまま聞こえるような気がして満足しております。個人的な意見です。

1977年の初来日からチェリビダッケが来日するたびに実際の演奏会場でしか味わえない音楽との出会いを求めて演奏会に通いました。当時、友人など熱心なファンの方々は海外にまで遠征してチェリビダッケを聞きに行っておられましたが、こちらは毎回渡欧する機会はあるもののチェリビダッケの演奏会に出会う事はありませんでした。取りつかれたようにミュンヘンのガスタイクなどに遠征する方々を見ていると少しばかり怖く感じたのが正直な気持ちです。臆病者の言う事ですから聞き流してください。
欧州では指揮者はオペラハウスで鍛えられなければ駄目だと言います。管弦楽曲畑で活躍し学んできた小澤征爾も随分オペラを勉強した成果としてウィーン国立歌劇場の音楽監督を拝命したのでしょうし、優れた指揮者は皆オペラを振っています。ホルスト・シュタイン、マルチェロ・ヴィオッティ、カルロス・クライバー、リカルド・ムーティ、クリスティアン・ティーレマン、ペーター・シュナイダー、ドナルド・ラニクルズ、ブルーノ・カッパネッラ、ステファン・ゾルテス、ズビン・メータなどオペラハウスの天井桟敷で聞いて感銘を受けた指揮者達を数え上げればすぐに指が足りなくなります。
ところでチェリビダッケは記憶に間違いなければ「オペラは音楽ではない。」と言っていたはずですが、オペラの序曲は彼のレパートリーでしたし、最近知りましたがオペラを振った音源も残されているそうです。チェリビダッケの様に偉大な指揮者は皆オペラを振れるのは当然と言うところだと思います。
多分、欧州で言うところのオペラハウスで鍛えられなければ駄目だと言う見解は的外れではないと感じます。素晴らしい交響曲の演奏をする指揮者は皆、オペラハウスでも素晴らしい指揮者でした。ささやかな経験から物を申しておりますのでお許しください。

素敵な再現力を持ったスピーカーが音楽人生をより豊かにしてくれるのはとても幸せです。
タンノイとの出会いはとても幸運なことだったと感謝して音楽を聴いております。
天満敦子の演奏をご紹介頂きました。同一の物を持っているはず(整理が悪くて直ぐに出て来ません)ですので探し出して改めて聴いてみようと思います。

枯れ木も山の賑わいと申します。本掲示板がより豊かになります様にと願ってやみませんので枯れ木の一本ではございますが、投稿させて頂きました。長く続いております本掲示板ですのでどのような内容の投稿をさせて頂くのが良いのか判断出来ませんでしたので今回は少しばかり個人的な事を書きました。本掲示板は基本的にはタンノイとオーディオに関する投稿を主体とする場所でオーディオに関連しない内容はふさわしくないならご注意を賜れれば幸いでございます。
これからも楽しくいろいろな事を教えて頂ければ嬉しく思います。

長々と失礼いたしました。ありがとうございました。

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自動筆記様 私がタンノイを聴く曲は「シルクロード」とモーツアルト「ハープとフルート協奏曲」の二曲以外はベートーヴェン「フィデリオ」、「ミサソレムニス」、「ピアノ協奏曲5番」他交響曲3,5,7,9それに後期ピアノソナタと弦楽四重奏曲、合計で20曲ほどです。ピアノソナタは101,106,109,110,111だけで106を一番聴いています。110番が弾けるとはうらやましい限りで私は縦笛、ハーモニカすらまともに扱えません。 106の次に好きなのは111。ベートーヴェンで印象に残る出出しは交響曲5番と弦楽四重奏で「そうあるべきか」、「そうあるべきだ」と音符に書かれた135番。 111についてはルーヴィンシュタインが自由を表現したものだと語っていたことを記憶している。 会画はゴッホ、シャガールなどギリシヤ・ルネサンス風でないものも好きだが音楽だけはロマン派は好きになれない。シャガールはサーカスの絵を好んで描いていてロシア革命の行く末を語ったか『放蕩して破産した富豪と理想を失った革命はサーカスに似ている』と語っていた。私は「感心」は悪い意味でも使える言葉と思っている。人はあまりのあくどさ、悲喜劇にサーカス的な関心・悪寒その他の感情を催すのではないか。 それに対してある対象に帰依することを感激と呼びたい。 感激は個別的で心情・信念・信仰と親縁性がある。 私がベートーヴェンに抱く感情は感動だ。個別的な崇拝者に対する帰依ではなく、普遍的な理想のヴェクトルを含む人の生き方に関し「そうあるべきか」、「そうあるべきだ」と胸に刻むように語りかける曲はベートーヴェンしかないと思っている。 貧乏だったのでポリーニのベートーヴェン公演を聴く機会はなく、わずかに10年ほど前ツィンメルマンの109,110,111を兵庫県のホールで聴いただけだが、腰痛で公演が延期されたためか、一曲で2,3箇所エラーしていた。

アナログではケンプ、バックハウス、CDでは数人のピアニストの演奏を聴いているが、ポリーニの演奏を越えるものには、出会っていない。

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自動筆記様の音楽と共に歩んでおられる人生を描いた文章に触れて、とても感謝しております。人生は神から与えられたものです。音楽を表現できる幸せは、他では得られない大きなものがあると思っています。

ピアノを通して、人が生きていることを実感する時間。ベートーヴェンのピアノソナタ第31番の響きは、芸術の世界への大切な道を作っておられると感じています。その人の持つ繊細な部分に宿っている大切なもので、創られねばならない大切なもののような気がします。この文章を読み、私は、リヒテルの演奏を聴いています。これは、やはりベートーヴェンという天才の作ったものだと、曲の偉大さや美しさに聞き惚れました。

オープンデッキの音は、音楽再生に必要な、分厚い音場を再現してくれます。欧州では指揮者はオペラハウスで鍛えられなければ駄目だという話やセルジュ・チェリビダッケの逸話は大変興味深い話でした。また、タンノイに関する素敵な再現力を持ったスピーカーが音楽人生をより豊かにしてくれるのはとても幸せの感想には大いに同感いたします。
私も日々タンノイとの出会いはとても幸運なことだったと感謝して音楽を聴いております。

今回の自動筆記様のお便りは、音楽の神髄をついたもので、多くのからの共感を得うる内容だと判断しております。音楽論、オーディオ感など、ぜひ、これからもお寄せください。

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