学名と和名
こんにちは。掲示板を観ているとクローンやDNA解析など、一歩踏み込んだ内容の投稿も見られましたので、分類学上の細かい話題とご提案を投稿させていただきます。端的に、高知県内でとりあえず基準となるスタンダードの個体を、調査対象種について選定して生品として維持してはいかがでしょうか。
タンポポ属の勉強を初めてまず思ったのは、植物学上のキーパーソンがたくさん登場することです。日本のタンポポ属を網羅的に記載した小泉秀雄は、宇井縫蔵や伊藤武夫など、当時の熱心な植物研究家から寄せられた標本からも記載をしており、小泉の分類体系は、あの時代の在野の研究者の集大成の感すらあります。一方でアカデミアの世界で成功した兄小泉源一との確執など、人間模様も魅力で溢れていますね。その後北村四郎が整理し、森田龍義がさらにまとめて、芹沢俊介が各論的に検証しているような印象を受けます。タンポポ調査西日本2015調査報告書の引用文献を観ても、およそ日本のタンポポ属の体系は小泉、北村、森田で象られていることが分かります。
こうした経緯を追っていくと、それぞれの分類学者が様々な分類学的な学説を提唱しており、それに応じて実務の側では、しばしば種の取り扱いが同定以前の段階で混乱しているようです。学名と和名の対応も、しっかりと文献に基づいて参照しないとその実態を見失うことになりかねません。タンポポ調査西日本2015調査報告書の鈴木先生の検索表では、シナノタンポポの和名にTaraxacum hondoense Nakai の学名が充てられています。しかし、中井以後この学名には「タンポポ」の和名が充てられており、北村 (1957) でも複数の和名の中に「シナノタンポポ」は挙げられていません。一方、森田は "Flora pf Japan IIIb" でTaraxacum platycarpum DAHLST. subsp. hondoenseと扱いを亜種にした上で、これに新しい和名のシナノタンポポを与えています。小泉の解説でも信州から多く標本が採られているため、この名づけは納得です。ここで、シナノタンポポの和名をTaraxacum hondoense Nakaiに充てることは、和名に明確なルールがないことを踏まえてもかなり不合理です。森田の見解に従えば、結果的には確かにTaraxacum hondoense Nakai はシナノタンポポにあたるわけではありますが、それでありながら中井のTaraxacum hondoense Nakaiを学名に充てているのは、分類学上の学名と和名の対応に整合性が取れていないのです。
また、タンポポ調査・西日本2020高知県報告書では、冒頭の写真ではシナノタンポポの学名としてTaraxacum hondoense (Nakai ex Koidz.) Moritaを充てつつ、20ページの高知県産タンポポの分類と検索表 (堀清鷹) ではシナノタンポポの学名としてTaraxacum hondoense Nakaiを用いるなど、県内の執筆者間でも統一が図られていません。また、森田先生がシナノタンポポを亜種から種の単位に改めたような文献は少なくとも報告書の引用文献中には無く、そもそもTaraxacum hondoense (Nakai ex Koidz.) Moritaの学名自体が正当でない可能性があります。
一般の方が多く参加される調査であるからこそ、特定の種に総称としても使われる「タンポポ」の和名を充てることを避けたという事情と、調査上すべて種の単位で揃えたかったという意図は汲めますが、Taraxacum hondoense Nakaiの学名がGoogle scholar上でヒットするような文献でもシナノタンポポとして使われ始めている現状を見るに、やはりきちんとTaraxacum platycarpum DAHLST. subsp. hondoenseの学名を充てる必要があったかもしれません。
そして、一般のGoogleの検索エンジンでTaraxacum hondoense Nakaiを検索すると、ある程度エゾタンポポの学名として扱っているサイトがヒットします。これは分類学上の変遷の経緯からすると誤りなのですが、なぜこのような取り違えが生じているのかは未だ突き止められていません。
このように、和名の適用に明確なルールが無いとはいえ、学名と和名をきちんと対応させて運用しなければ、厳密にいえばそれがどの種を指しているのか特定できなくなります。そこでご提案なのですが、今後の調査者が混乱しないよう、それぞれの「種」について、高知県での基準となるような個体を牧野植物園で管理・維持されるのはいかがでしょうか。生品が維持されていれば学名や和名の混乱をとりあえず回避出来ますし、ゲノム情報を踏まえた解析においても一貫したスタンダードを研究者に提供出来ます。5年ごとに長く続いてきている調査であるからこその、今後を見据えた提案です。どうぞご検討ください。
ふじかわ様、やまなこうへいです。
ご丁寧にご返信くださり有難うございます。
ご教示いただきました点に関しまして自分なりに咀嚼してからお返事をしようと思っておりましたが、命名規約を一旦まがりなりにでも理解してからと考えているとお礼が随分遅くなってしまいますので、先にお礼いたします。
元々オープンアクセスの小泉秀雄の記載文をいちいち読んでいっておりましたが、複写を依頼していた森田先生の文献も徐々に届き始め、分類上の解釈の奥深さに魅了されています。
2009年の時点で生品の展示を試みられたとのことで、思い付いたことが既に先人が実践されているというのはとても嬉しいことです。直根性のものですから鉢植えで元気に維持しようとすると凄く大きな鉢を用意してあげないと難しいのでしょうね。地植えにしても徐々に消えていくというのは意外です。野外にはたくさんあってもいざ植えようとするとなかなか難しいものというのは植物園泣かせなものですね。
当地いの町本川地区ではまだ植物の芽吹きをほとんど見ませんが、市街に降りるとシロバナタンポポが咲いていて標高差を実感できます。
タンポポ調査への参加も皆様から一歩遅れてのスタートになると思いますが、また高知各地の集団を観に行かれる機会がありましたらお声がけください!実地でたくさん観て、小泉秀雄のかつて見出したミクロな差異を今でも辿れるのか、森田先生のように種を広く捉えるべきものなのか、自分なりの解釈を形作っていきたいです。
やまなこうへいさま、
こんばんは。ご提案ありがとうございます。タンポポ事務局の藤川です。
シナノタンポポについて、以下のように回答します。やまなさんの問いに対応していない部分もあると思いますが、その点、ご容赦ください。
1)学名と和名について
①タンポポ調査・西日本2020高知県報告書におけるシナノタンポポの学名の命名者名の違い
口絵:Taraxacum hondoense (Nakai ex H.Koidz.)Morita とある点。この学名Taraxacum hondoenseに対する著者名(命名者名)が、間違っていました。ご指摘ありがとうございます。
Taraxacum hondoense Nakai ex H.Koidz.に訂正必要です。これは、執筆者による見解の違いではなく、著者名(命名者名)を間違えたまま口絵のページに掲載したことに問題がありました。混乱させてしまい申し訳ありません。種のランクの種小名である"hondoense"は、H.Koidz.(小泉秀雄)が正式に学名を発表したもので、Taraxacum hondoense Nakai ex H.Koidz.になります。
②ではシナノタンポポ?の学名は何か
Hideo Koidzumi による1933年の原記載論文に、確かにTaraxacum hondoense の和名は「タンポポ」とあり、シナノタンポポとは記されていません。小泉秀雄による1933年のタンポポ属の研究論文を読む限り、Taraxacum hondoense のホロタイプ標本が1点明記されていないこと、記載文と併せ、シナノタンポポとエゾタンポポの学名をそれぞれ追い始めたら、もう少し探索とタイプ標本の閲覧が必要です。
とはいえ、Moritaが1995でシナノタンポポとして、Taraxacum platycarpum Dahlst. subsp. hondoense (Nakai ex Koidz.) Moritaの学名を充てた時に、この学名に対してシナノタンポポとしたということではなく、このMorita(1995)が提示した「一つの分類群の考え方」に対してシナノタンポポという名を与えたという考え方をしています。
その考え方でいくと文献上から、暫定的に扱うならば、
−1)シナノタンポポを独立種とする場合には、Taraxacum hondoense Nakai ex H.Koidz.
−2)シナノタンポポをエゾタンポポの種内分類群と考える場合:
改訂版日本の野生植物(平凡社)での学名、エゾタンポポをTaraxacum venustum H.Koidz. subsp. venustumとした場合には、この種小名はすでにヨーロッパ産のタンポポに充てられて発表されており、Taraxacum venustum H.Koidz. は違法名となるので、却下されます。この図鑑ではシナノタンポポをTaraxacum venustum H.Koidz. subsp. hondoense (Nakai ex H.Koidz.) Moritaとしていますが、これも命名規約上違法な学名の下で組み変えられたもののため却下されます。エゾタンポポの種内分類群と考えた場合には、Taraxacum brachyphyllum H.Koidz.の種内分類群として位置付けられるのではないかと記載から思いますが、タイプ標本を見ないとわかりません。
もう一つの考え方で、
−3)カントウタンポポの種内分類群と考える場合:
Taraxacum platycarpum Dahlst. subsp. hondoense (Nakai ex Koidz.) Moritaとなります。Morita (1995)から。
③Taraxacum hondoense をエゾタンポポとして扱っているサイトがあること
この考え方は、旧版日本の野生植物(平凡社)をはじめFlora of Japanが出る前の図鑑類のほとんどがエゾタンポポの学名をTaraxacum hondoense としていたことによると推定されます。
④和名「タンポポ」に対する学名は?
スミレは総称でもあり、Viola mandshurica W.Beckerを指す場合と異なり、「タンポポ」は総称であって、特定の種を示さない。としてタンポポ調査をしています。
3)タンポポ調査2025高知県での学名と和名の対応
上述のとおり、シナノタンポポやエゾタンポポの学名や、種とするか、種内分類群として捉えるか、これはヤマザトタンポポやキビシロタンポポの扱いも同様に、研究者の間で異なっています。しかしながら、もちろん形態学的に中間的な個体は出てきて再検討しなければならないものもありますが、これをヤマザトとする、これをキビシロとする、これをシナノとする、これをエゾタンポポとするという識別形質ははっきりさせて調査していると思っています。とはいえ、同定できないものもやっぱり出てきますが・・・。
4)上述のような混乱を避けるためのスタンダードを栽培
実際に高知県下に生育するもの、またヤマザト、オクウスギタンポポ、ツクシタンポポなどはタイプロカリティーの場所などで、採集、生個体の栽培をすることをしていました。やまなさんのご提案のとおりです。2009年から集め鉢展示していたときも実際にありました。しかしながら、生品を鉢植えで維持することが、いやはや上手くいきませんでした。5年。ほとんどが翌年、こじんまりとしてしまい形をかえました。地植えにするとよいと考え、カンサイタンポポでは地植えで栽培しましたが、こちらも徐々に姿を消し。と、生品を系統保存・形態を維持することが、当園のタンポポ事務局では今のところできていない状況です。
標本では揃えています!また、自生地へ集団で生えているそれぞれの種を見に行きましょう!お声がけください。