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旧名野川村北川集落の興味のあるアカミタンポポ

こんにちは。
先の投稿から連投で失礼いたします。
仁淀川町の北川集落は牧野富太郎が多くの植物を観察した記録のある場所なので勉強によく通っていますが、舗装道路沿いに総苞外片の開出具合が2-3のアカミタンポポを観ました。
早速タンポポ調査のWebページで「総苞」の項目は"上にななめになる"と"横になる"で、「タネ」は"赤褐色"にチェックを入れて検索してみると59件がヒットし、高知全体で観られるものの、特に仁淀川町で多くサンプリングされていることが分かりました。
情報の蓄積具合に圧倒されました。

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仁淀川町の在来総苞型のアカミタンポポについては、前回調査で仁淀川町潰溜から県境までの国道と、右岸側の大度ダム公園付近を調査しました。国道沿いに多かったので、国道33号経由で入ってきているのかな?と考えましたが、北川集落にもあるとなると、そんな単純な話ではなさそうですね。この形状のアカミタンポポは県下に広くみられるというより、仁淀川町に特異的に見られる気がします。写真は2020年4月22日に大度ダム公園で写したものです。

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このアカミタンポポと同所に生えているセイヨウタンポポは頭花が5.5 cmと大きめで、葉身はクシバタンポポのような裂け方をしています (写真)。種子は褐色で、総苞外片は強く反曲します。
先ほどの投稿はちょうど4つの頭花と1つの綿毛が写っていますが、向かって左側の縦に2つ並んだ頭花の下の方のがセイヨウタンポポで、残りは綿毛を含めアカミタンポポです。
セイヨウタンポポも頭花の大きさや葉の裂け方に注目してみると色々な姿をしており、まれに見慣れない姿のものを観るとワクワクします。

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タンポポで学ぶ土地の利用

こんにちは。
私の住むいの町本川地区でもたんぽぽの盛りの時期になりました。
ただ当地には水田も土手も無いので在来のたんぽぽは見られず、延々セイヨウタンポポや在来総苞型のよくわからないものを観ています。

石鎚山を超えた向こう側、愛媛県西条市では点々と在来のたんぽぽが記録されており、勉強がてらシコクタンポポ (Taraxacum shikokianum Kitam.) を捜していますが、たんぽぽを取り巻く厳しい現状を実感させられました。
シコクタンポポは横峰山で採られた余吾一角氏の標本に基づいて北村四郎が記載し、後に北村自身がツクシタンポポの異名としたたんぽぽと理解しておりますが、愛媛県のタンポポ調査2015でもその実態の把握が課題に挙げられています。
安直に林道通行料1500円を払って横峰寺を探索してみましたが、そもそもたんぽぽが生えるようなオープンな環境はほとんど無く、延々陰湿な杉植林地が続きます。伐採跡地、駐車場、奥の院星が森遥拝所はセイヨウタンポポが侵入し、境内は丁寧に整備されていてたんぽぽすらありませんでした。
納経所でお話を伺うと、植林は大分進み、今ある道も最近均してこしらえたものだということでした。ただし、昔は山全体が草原だったというようなことは無く、昔から植林地ではあったようです。

落胆して帰宅し、手掛かりを求め余吾一角氏について調べていると『周桑郡植物誌』の存在を知りました。幸い国会図書館のNDLで読めたのでキク科のところを見てみるとビンゴ! 「カンサイタンポポ?」という記述で横峯山と戸石山が挙げられており、環境として"山地の乾地"とありました。戸石は西条市丹原町楠窪、志河川ダムの奥の集落です。さらに愛媛県のタンポポ調査2015でもちょうどいい感じの位置のメッシュにヤマザトタンポポとしてのマークアップがありました。ヤマザトタンポポであれば余吾氏の「カンサイタンポポ?」の表記も納得です。2015年の調査で確認されているわけで、山奥の集落なんだから雰囲気のある場所を当たればまず観られるだろうとウキウキで観に行きましたが、延々あるのはセイヨウタンポポ。戸石、影無、借宿、小谷などの集落をしらみ潰しに回りましたが、シロバナタンポポが辛うじてあるくらいでセイヨウタンポポがほとんどです。

どうしてこんな山村にセイヨウが侵入しているのだろう。地元の方に聞きとりをしてみると、余吾氏の歩いたであろう90年ほど前は一体に野稲、アワ、小麦、イモ類の畑があり、戸石の集落も尾根筋まで家が見えるほど広がっていたそうです。通学路ではセンブリやリンドウなども普通に観られたとのこと。ただ現在その集落跡にはスギが植えられ、全面植林地となっており、辛うじて残る影無のクリ・ユズ畑も除草剤をたくさん使うとのお話でした。なるほど道理で写真のような”ありそうな環境”にたんぽぽがまったく生えていないわけです。さらに悲しいことに、ここ10年での土地の変化をお伺いしてみると天ヶ峠と余野に抜ける林道が全通し、台風等で山の上に続く道の管理が断念され、また繰り返される氾濫対策で川原が嵩上げされたとのことでした。セイヨウタンポポが多い理由もハッキリしました。

植物誌の感覚では2015年というと最新情報のように感じてしまいますが、10年もあれば消えるものは消えるのかと勉強になりました。これで余吾氏にまで遡れる産地は絶望的になりました。余吾氏と交流のあった山本四郎氏の『愛媛県産植物の種類』でも特に新事実は追加されていません。もっとも、単純に私が見落とした可能性もありますが、草原性の在来たんぽぽは今後ますます観るのが難しくなっていくのかもしれませんね。

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異郷の地で分布を広げるカンサイタンポポ その2

今回は国道439号、旧吾北村小川西津賀才の高岩トンネル北口に根を下ろしたカンサイタンポポを紹介します。
最初に確認したのは2014年4月24日です。株数について、はっきり数えた記憶がありませんが、写真では1株です。その時は、カンサイタンポポは単独生活は無理なので、すぐに消えるだろうと考えました。しかも生えているのはアスファルトとコンクリートの隙間で、カンサイタンポポの本来の生育地とは全く違う環境でした。
2019年の調査で再度訪れると、5株に増えていました。また、個体も大きくなり1株で68個の頭花(開花済みのものを含めています)をつけていました。環境に適応した数少ない個体が、1個体あたりの花を増やすことによって集団を維持していこうというパイオニアの熱意みたいなものを感じました。
先日(4月11日)に調査に出向くと18株に増え、道路のアスファルトとコンクリートの間に列をなしていました。
多分このまま、分布を広げることができるのではないかと考えています。

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このタンポポがどうしてここにいるかについて考えてみました。
周辺を調べてみると、トンネルの出口と旧道との間に、3角形の空き地があり、現在は廃墟になっているものの、パーゴラやベンチが設置され、藪になっている植物も植栽されたものと見ました。トンネルの開通は1991年のようです。
トンネル開通時に利用者のために設置された園地の整備に伴って、タンポポがこの地に来たものの、園地の荒廃によって住みづらくなり、道路に逃げ込んだというストーリーを考えてみました。

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仮説 くろしお鉄道によって運ばれたかな?カンサイタンポポ

 前回四万十川後川堤防のカンサイタンポポを確認することができ感激の話しをしました。
 この場所のカンサイタンポポ生育地の拡がり方を興味深く思いました。堤防上面の線路すぐ脇に沿って生え、それから堤防南側の法面左右に扇状に生育しています。線路北側には発見できませんでした。ということは、この場所のカンサイタンポポは、線路南側から生え徐々に拡がっていったと考えられます。
 なぜ南側なのか。タンポポが実を付ける4月あたりまで、この場所は北西からの強い風が吹きます。このことからタンポポの種は、南側に飛ばされるはずです。
 では人の手ではなく、なぜくろしお鉄道なのか。前提要件として、どの場所かで飛んできたタンポポの種がたまたま車両と車両の間にひっかかったとします。走っている時は、車両と車両の間は、風が直接当たらず、くっついた場所にそのままある確率が高いでしょう。
 さて、四万十川後川堤防です。線路は川に垂直に走っています。そしてカンサイタンポポの生えている堤防に高知方面から来ると右にほぼ直角に曲がることと、中村駅が間近なので徐行運転になります。右に曲がる時、車両と車両の間は、北側が狭く南側がハの字のように開きます。風の物理法則によって強い風が北側から南側に吹きます。さらに強い北西の風が吹いていたら車両と車両の間は、強風になるでしょう。しかも汽車のスピードは最徐行です。これだけの条件が揃えば、ここまで頑張って付いていた種も南側に落ちるのではないでしょうか。それではまた、前田さんの苦笑する顔が。

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列車によるタンポポの移動、楽しいですが証明が難しいですね。
カンサイタンポポを含め、高知県にもともと自生しないタンポポが生育している場所は造園や植栽工事がされたところが多く、これに伴って非意図的に持ち込まれたと考えるとすっきりすると思います。
面白いのは、大名のお国替えに伴うタンポポの移動で、大名が樹木などを移し替えるときに意図せずまぎれここんだ可能性があると考えられています。
2012年の朝日新聞の記事を画像で紹介します。

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異郷の地で分布を広げるカンサイタンポポ

土佐市高岡町の仁淀川右岸堤防に咲くカンサイタンポポです。タンポポ調査2010の時に、高知大学の学生さんが見つけました。
仁淀川の堤防のうち、カンサイタンポポが見られる区間(右岸河口から5k~5k600m)が築かれたのは、昭和51年から昭和57年で、築堤工事において筋芝工(すじしばこう:盛土のり面の土羽打ちのとき、芝を水平の筋状に挿入する工法。)が行われています。その際、芝に混じってカンサイタンポポの種子あるいは株が移入された可能性が高いと考えています。
出身地が分かるかも?と考えて国土交通省芝の入手先を尋ねましたが、築堤から20年以上が経過しており、分かりませんでした。
異郷の地に根を下ろしたカンサイタンポポは、堤防の環境があったのか徐々に分布域を広げているように見えます。

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仁淀川堤防に咲くカンサイタンポポの総苞のバリエーションです。
仁淀川の場合、左端のほっそりしたものが多いですが、まれに中や右のものが見られます。

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在来タンポポの中でも、最もかわいい姿をしています。

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合計56件 (投稿32, 返信24)

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