北欧のあの人・・
サクランボ様、皆様こんばんは、Jackieです。
どるしら様、色々とありがとうございます!当日を楽しみにしております。
アニばらに対する批判的なものを含めた意見について・・「フェミニズム」に関しては、少々物申したいことがあるのですが・・今回はアニばらが「悲劇」だったことについて書きたいと思います。
(個人的には、アンドレに関すること以外は、アニメのオスカルにも強い後悔はなかったと思いますが)
アニばら39話では、「アンドレへの愛に気づくことが遅かったことへのオスカルの後悔」が描かれていますが、これに対し、原作漫画では「アンドレへの愛に気づくのが遅かった」という気持ちはオスカルの中に一切なかったのでしょうか?(パリ出動前夜に「気づくのが遅すぎなくてよかった」というようなセリフはありますけど・・これはおそらく、死の危険がある戦闘に行く前に気づけてよかったという意味で、もっと早く自覚することができたら、そちらの方がよかったのでは?)
もし、「気づくのが遅かった」という気持ちが全くなかったとすると・・個人的には、さかのぼって「原作オスカルのフェルゼンへの恋は何だったのか」という疑問が湧いてきます。(かなり長い間フェルゼンに恋していたのは、原作でも同じなので。)
どうやら原作ファンの間では、「フェルゼンへの恋は、小さな子供がするようなおままごと的なもので、アンドレへの恋は官能性を伴う(本当の)『女性』の恋だ」という見方が(たぶん)主流のようなのですが。
すると、「フェルゼンへの恋は『女性の心』によるものではなく、アンドレへの恋(女性としての恋)とはほぼ別のもの」という捉え方になります。そして(多分ジェローデルにキスされるまで)オスカルは「女性の心がほとんど芽生えていなかった状態」なのだから、アンドレへの愛に気づかなかったことに対する後悔の感情は起こらないはず、という考えになるのでしょうか。
ただ、ここで問題なのは、もしそうだとすると、フェルゼンへの恋からアンドレへの恋への心理的な繋がりがかなり弱くなることです。非常に極端な言い方をすると、フェルゼンへの恋に関するエピソードが一切なくても恋愛のストーリーが成り立ってしまう気がします。
これはストーリー構成的な視点なのですが、そもそも「原作ではオスカルがフェルゼンに恋したのは『女性の心』によるものではなかった」と、そう言い切れるのか?という疑問もありますけど。
あとは、「原作オスカルが破壊神」つまり「ゴジラ的」なのは、原作ファン側の認識でもそうだったのですね(たぶん全員ではないでしょうけど)。
でも、原作オスカルが「神や怪獣」のような存在だとしたら、原作漫画中の「人間として(以下略)・・」というセリフは何だか宙に浮いてしまいそうな気がしますが。
それでは、また伺います!