経済学教室で農業経済学担当の暉峻衆三氏(元当会顧問)ご逝去
報道によると、東京教育大学文学部の経済学教室で農業経済学を担当されていた暉峻衆三氏が2023年12月22日、老衰のため、東京都世田谷区代沢の自宅で逝去されたとのこと(以前は練馬区東大泉町在住)。99歳。葬儀は28日にご家族のみで実施。喪主は妻淑子(いつこ)さん。生誕は1924年6月26日。出身は東京帝国大学農学部だが、1953年から東京教育大学で講師、助教授、教授を勤められ、筑波大学設置の際は筑波大学には行かず、1977年の文学部廃部、1978年の大学閉学後1978年から信州大学教授、1983年から宇都宮大学教授、1990年定年退官後は東亜大学大学院教授を勤められ、1998年退職されていた。当OB会設立当初は、当会の顧問もされていました。OB会設立当初、吉田文太郎初代事務局長(1980年頃から消息不明)の依頼で当会顧問に就任していたのは、福原鱗太郎、木村剛輔、暉峻衆三、磯野誠一、村治能就の5氏でした。暉峻衆三氏のご逝去により、すべての顧問の方々が他界されたことになります。
ウィキペディア参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%89%E5%B3%BB%E8%A1%86%E4%B8%89