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クラーク博士像をめぐる話題

「羊ケ丘にクラーク像50年 立地とポーズの謎に迫る」という記事が、5月26日北海道新聞15面に「うちの街ダネ」として載った。概略は次の通り。
※大本のクラーク胸像は北大構内にあるが、観光客が急増、バス乗り入れ制限と、学業の妨げに。
※札幌観光協会がじっくり見られる場所にと、羊ケ丘展望台に、博士来日から100年の1976年に全身像を設置。今年で50年。
※「ボーイズ・ビー・アンビシャス」という名言の地は、実は隣町の北広島市の旧島松駅逓所という説が強まり、市民有志が寄付を募り、今年9月には、駅逓所跡に馬に跨がった博士像が設置される。
クラーク像のある羊ケ丘展望台(年中無休)は老朽化による施設リニューアルのため、来年2027年4月1日から休業する。リニューアルオープンは2028年?夏ごろの予定。クラーク像のある地域も休業中は見られない。

引用して返信編集・削除(編集済: 2026年05月27日 23:14)

修学旅行の起源

5月26日の北海道新聞1面コラム「卓上四季」に修学旅行の歴史について記述があった。起源は明治19年。東京師範学校の生徒が東京ー千葉・銚子間を11泊12日の日程で歩いて往復したとある。
コラムは辺野古沖の事故を捉え、戦後の平和教育積み重ねを踏みにじろうとする文部科学省の動きに警鐘を鳴らす。
ウィキペディアによると、東京師範の最初の修学旅行でも、上からの軍隊式規律路線の過度な導入に対し、学長をはじめ学校、生徒らは抵抗、気象、測量、動植物採取などの実地研究を目指し、実践したとされる。当時、新聞・雑誌で大きく扱われたことを、東京茗溪会報などから引用している。読みごたえがあった。

引用して返信編集・削除(編集済: 2026年05月27日 09:49)

フェイクアラート広告

現在時々表示されている「日本の象徴的な風景」、「牧場ジェラート」という広告はフェイクアラート広告です。開かないようにしてください。当掲示板の広告はGoogleから提供されているものを使用しており、フェイクアラート広告が大量に含まれていて危険なため、広告は無視し、開かずに使用した方が安全です。(Googleにはその都度連絡していましたが、全く対策している気配がなく、連絡するのはやめました。)
以前から出ている「ビデオ」、「ビデオを見る」、「ここをクリック」、「続きへ進むにはこちらをクリック」という広告も同様です。

引用して返信編集・削除(編集済: 2026年05月29日 10:07)

北大新聞100周年(2)

北大新聞100周年について検索すると、たくさんの話題、データが出ている。
このうちから、今の大学新聞を通じて、昔の東京教育大学新聞活動を振り返る視点から、参考になりそうなものを集めた。
◆学生新聞の壁をぶち壊せ!新生学生新聞の挑戦 (2018年4月、北大生応援メディアJagajagaー北大新聞編集部)
※2011年末に廃刊のサークルを6年余のブランクを経て4月に復活。北大の今を共有する情報拠点として改め存続させたい。
※旧北大新聞廃刊の背景にネットの普及、新聞離れがある。サークルにもとっつきにくいという問題がある。クソまじめ、敷居が高そう、暗いというイメージを払拭する、発想転換を。
※具体的には①紙での発行はしない。Webで紙面的にレイアウトしたものと、記事ごとのページを作る②活動の幅を広げるー北大祭では事務局とコラボ企画を計画、他にもサークル紹介などコミュケーションにしてもらえるコンテンツ作りを進める。
といっても、新聞だから根はマジメ。記事にもそれなりの約束ある。その中でとっつきやすく、幅広く、愛されるメディア目指す。
(長くなるので今回はここまで。改めて記事の中味などをご紹介します。)

引用して返信編集・削除(編集済: 2026年05月17日 20:50)

北大新聞100周年

ことし開学150周年を迎えている北大。北大新聞がこのほど100周年を迎えたことが15日の北海道新聞で紹介された。
戦時など3度の発刊停止を経て、現在はweb版に限定し年2回発行している。部員は15人。
私も昔、東京教育大学(1978年閉学)の新聞会に所属し忘れられない思い出がある。心から祝福したい。
私の学生時代は60年安保の直後。当時の全学連委員長は北大出身の唐牛健太郎氏。波乱の生涯を送った人。北大新聞で検索すると、FB、X、YouTubeなど多彩な発信もあり、当時の北大の様子などを探ってみたい。
私の新聞会はとうの昔になくなったが、後輩たちが東教大新聞会OB会のサイトを作り、閉学から半世紀近い今も守り続け、心の支えになっている。

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澤部さん、お久しぶりです。お元気そうで何よりです。
ところで北大新聞と言えば「全学新」がまだ健在?だった60年代のころ、同新聞部も全学新の加盟校で、原水禁大会の共同デスクや全国大会あるいは全国委員会などの活動に部員が顔を出していました。と言っても北大の新聞部もそれほど部員は多くなかったようで、また学外の活動に参加していた部員は限られていたらしく、ぼくが知るのは一人だけ。既に本人がどこかで出自(笑)を書いているだろうから名をあげると、北大医学部を出て精神科医となり、京都造形芸術大学や関西学院大学ほかいくつかの大学で教鞭をとった野田正彰氏。上京の折、全学新の事務局でもあった教育大新聞会の部室にも何度か顔を出したことがあるし、70年代に入り、たまたま東大で開かれた「反・日本医学会総会」の会場で声をかけられびっくり。(ぼくがなぜそんな所に顔を出したかは省略)
ウイキペディアで検索すると野田氏は1944年生まれで精神科医、評論家、ノンフィクション作家。87年には『コンピュータ新人類の研究』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しています。この春、たまたま731部隊問題はじめ戦後日本の医療現場がかかえてきた闇を描いた映画「医の倫理と戦争」(山本草介監督)を観たことから、野田氏の旧著のひとつ『戦争と罪責』(98年、岩波書店刊)を読んだのですが、氏は一環として精神病理学、文化人類学、社会学にまたがる今日的な課題を追い、フィールドワークをベースとする旺盛な執筆活動でも知られています。もう久しく会っていないのですが健在なようです。

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