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新聞会OB小林昭夫さんご逝去

8月20日午前8時に当会の会員である小林昭夫さんが病気のため逝去されました。享年79才でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。
小林さんは昨年、呼吸困難になり、救急車で運ばれ、肺水腫と診断され、その後は透析生活を続け、週3回近所の透析クリニックに通っていましたが、肺癌の疑いもあるということでした。5月に埼玉県戸田市の自宅に見舞いに行った矢下さんの話では、すごくやせて声にも元気がなく、呼吸が苦しくなると危険、と言われているとのことでした。
小林さんは1965年、富山高校を卒業して文学部法律政治学専攻に入学、新聞会員となった。学生時代は西武線豊島園駅の近くに下宿。新聞会では全学新の書記局員として熱心に活動されていた。また、全学闘のメンバーとして、筆名・滝村一郎で共著書「反大学70年戦線」(1969、合同出版)に教育大闘争について執筆されていた。1970年の卒業後は帝国地方行政学会、日刊ゲンダイ勤務を経て独立し、出版社金羊社を設立、雑誌「焼酎楽園」を刊行されていた。
「焼酎楽園」はすでに刊行されていませんが、サイトは残されています。
http://shochurakuen.blog.fc2.com/

引用して返信編集・削除(編集済: 2025年09月08日 10:08)

2015年7月7日、池袋のホテルメトロポリタンで開催されたOB会最終総会での記念写真。最後列中央が小林さん。場内では、私と同じテーブルで隣りに座り雑談した。主に「焼酎楽園」のサイトについての話だった。この時から丁度10年が経過している。
http://tue.news.coocan.jp/upu/obgf2015.jpg

引用して返信編集・削除(編集済: 2025年09月02日 11:58)

OB有志、渋谷で「倉根巳之男さん&大谷悦久さんを偲ぶ会」開催

3月3日、渋谷エクセルホテル東急で、OB有志による「炉端の会アゲイン 倉根巳之男さん&大谷悦久さんを偲ぶ会」という名の会が開催された。参加者は9人。学年別内訳は61年入学2、62年入学1、63年入学1、64年入学5。64年組の中には、はるばる鳥取や浜松から出席した人もいた。下記の藤田さんのブログに報告あり。("mukan"というタイトルは「教育大学新聞」の連載コラム「無冠」に由来する。)
(参照)mukan's blog 「時空が掻き混ぜられる」
https://blog.goo.ne.jp/fjtmukan/e/608911f4a7bcb02546eed4634cae6de4

引用して返信編集・削除(編集済: 2025年07月03日 17:44)

この藤田さんのブログはgooblog上のものですが、gooblogは2025年11月18日にサービスを終了するとのことで、ブログは
ameba blogの ameba https://ameblo.jp/sanpokoh-fujita/entry-12922974217.html
に移動するとのことです。すでに開設されています。
鈴木啓介さんの「川越だより」もgooblog上のものですが、こちらはそのまま閉鎖になりそうです。

引用して返信編集・削除(編集済: 2025年08月22日 16:54)

OB会中期の会開催

「教育大新聞会中期メンバーの集い」という集会が、木村俊二郎さん(1956年社会学)らを呼びかけ人として、4月16日(水)正午から、新宿駅東口の中村屋8階にあるレストラン・グランナで、開催されたのでお知らせします。
この会について、出席者の青柳さんから次のような状況の報告がありました。
   ★★★
新聞会内の中期メンバーは、1956年?59年を入学年とする「60年安保世代」の者です。大学や新聞会の中で厳しい思想闘争の洗礼を受けなかったせいもあり、比較的仲が良く、卒業後も親睦を長く保っております。
しかし、既に19名もが鬼籍に入り、残党は十指程度。
その長寿組が元気のうちにと、昨年9月に続き、本年4月16日に親睦会を新宿中村屋の8階レストランのグランナで開きました。
出席者は5名(57年入学小野田明理子、58年2名石橋政徳・青栁漠、59年2名酒井功、川口久美子)。
欠席者は、関西在住で奥様の介護をされて東京は遠い木村俊二郎、やはり奥様の介護の鈴木武彦、当日所用のあった安達宏治、渡邊正彦、体調面から鈴木教亢、橋本矩明の合計6名。(いずれも敬称略)
中期物故者に黙祷を捧げてから、献杯をし、互いの近況を語り合いました。3時間半も滞留して、次回、10月上旬の再会を約して散会しました。

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新聞会元会長の大谷悦久さんご逝去

新聞会で在学中の1964年に会長を務められていた大谷悦久さんが、昨年2月2日、心不全のため亡くなられていたことが最近判明したのでお知らせします。83歳でした。大谷さんは豊多摩高校を出て1962年理学部化学専攻に入学され、卒業後は附属駒場高校に勤務されていました。「わらばんシート化学(no.1)重要テーマ53総チェック」(1989)、「化学(短期完成チェックシート)」(1991)などの学習参考書も執筆されていました。OB会の行事にはいつも参加されており、2019年7月の日光新緑会での再会が最後となりました。謹んでご冥福をお祈りいたします。(なお、大谷さんは永く茗渓会員でしたが、2021年に茗渓会は退会されており、茗渓会の会報「茗渓」には訃報は掲載されておりません。)
http://tue.news.coocan.jp/album/IMG_8140.jpg
(日光新緑会での写真、右側が大谷さん)

引用して返信編集・削除(編集済: 2025年05月15日 21:58)

大谷悦久さんが亡くなったのは昨年の2月2日です。告別のミサは調布の仙川教会で行われたそうです。大谷さん&尚子夫人ともども結婚当時からクリスチャンだったようです。

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大谷さんは、管理者が一番最初に会った新聞会の人だった。1年生の時、新聞会に入れてもらおうと会室に行くと、会室の前に縁台を出し、一人で将棋を指している人がいた。その人に、「新聞会に入りたい」と言うと、「君は将棋が出来るか」と聞く。「駒の動かし方は知っています」と答えると「では一局やろう」と言う。その後しばらく指していたが、「君は駒の動かし方は知っていると言っていたが、全然知らないじゃないか」などと笑われてしまった。(私はルールを知っていただけで、戦法など知らなかった。)その人が、当時3年生で会長だった大谷さんだった。極めて印象深い出会いだったが、その後、会内で大谷さんが将棋を指しているのは見たことがなく、なぜあの時将棋を指していたのか良く分からない。かなり偶然。

引用して返信編集・削除(編集済: 2025年03月11日 21:46)

謹賀新年・投稿歓迎

新年あけましておめでとうございます。本年も当サイトをよろしくお願いいたします。
一年程前までは大量のフェイクアラート広告に悩まされ、一時は使用中止も検討したこの掲示板ですが、現在は比較的安全に使用できるようになっています。(ただし、減少したとはいえ、現在でも稀にフェイクアラート広告が表示されることがあるのでご注意ください。万一開いてしまった場合は電源を切って再起動してください。商品名・企業名などの記載のない抽象的なタイトルの広告は開かない方が安全です。)
何か新しい情報などあれば、ご自由に投稿をお願いします。ただしこの掲示板は一投稿につき一つのURLしか書き込めない仕様なのでご注意をお願いします。
また、端末を自動認識する方式のteacup.掲示板とは異なり、投稿の修正、削除、加筆などには、最初の投稿の際のパスワードが必要になるので、ご注意をお願いします。(逆に言うと、パスワードがあれば、どの端末からでも修正、削除、加筆が可能です。)
廃止されたteacup.掲示板よりは不便であり、投稿も大幅に減少していますが、現存する他の掲示板と比較すると使い勝手は良い方なので、今後もこの掲示板を継続使用していく予定です。

引用して返信編集・削除(編集済: 2025年07月08日 15:33)
合計51件 (投稿35, 返信16)

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