きっこさん、アリソンさん、皆さんこんばんは。オノマトぺは何年経っても難しいですね。アリソンさん、ゆっくりやりましょう(^^)。
目刺は春の季語なのでどうしようかと思ったのですが、高校の家庭科の先生が授業の際、昔ふかし芋と目刺を食べさせられて食傷したが後年調べたら栄養バランスはバッチリだったという話をされ、当時は真似しようとは思わなかったけれども、今その組み合わせがしみじみ美味しいので、句にしてみました。
きっこさんアドバイスありがとうございます。今は自由句や季語無し句も多くなり、自由で作りやすくなった反面、俳句の歴史や日本の四季の移ろいなどが曖昧にそして軽視されているようです。私のような思いつき俳句初心者はやはり基本を踏まえるというのは大事ですよね。反省です。
アリソンさん、「月」は秋の季語ですが、一年を通して見られますよね。
そのため、秋以外の季節に詠みたい時は、「春の月」「夏の月」「冬の月」と詠むか、明確な他の季節の季語と重ねて、秋ではないことをアピールします。
「目刺」のような小さな季語の場合は、「冬の目刺」と詠むと違和感が際立ってしまうため、大きな冬の季語を重ねて、「目刺」の季節感を薄めるように詠みます。
木枯らしや目刺にのこる海のいろ 芥川龍之介
この句は、「木枯らし」という明確な冬の季語が「冬である」ということを断定しているため、春の季語である「目刺」は自動的に副季語となり、主季語である「木枯らし」が季節感を決定しています。
窓の外では木枯らしが吹きすさんでいる。窓を閉めても冷たい隙間風も吹き込んでくる。こんな寒い冬の日に、私は一人、侘しく目刺しで飯を食っている。しかし、この目刺しの焦げていない部分には、青々とした海の色が残っているではないか。これは、もうすぐ訪れる春の足音を、こんな私に届けてくれているのかもしれない。もう少し生きてみようか‥‥。
これが俳句です。
アリソンさん、俳句って凄いでしょ♪
アリソンさんの句は、「目刺」が春の季語であるだけでなく「芋」が秋の季語なので、「芋と目刺が今旨し」というフレーズを生かすために、今の時期の大きな季語を上五に置いてみましょう。
たとえば、
日脚伸ぶ芋と目刺が今旨し
春近し芋と目刺が今旨し
風花や芋と目刺が今旨し
このように詠めば、主季語が明確になり一句として成立しますし、「今旨し」という措辞により、これが「遠い日の記憶による現在の感覚」であることも読み取れます。
きっこさん、みなさん、おはようございます(^^)
きっこさん、薄氷の指摘ありがとうございました。昨日散歩に出たら薄氷が眼前にあり,まさに消えゆくさまであったのでそのまま写生句にしてしまいました。薄氷は冬の季語かと思ってました(笑)。立春以後の春先の季語だったとは迂闊でした。勉強になりっました。春先になって寒さが戻りうすうす張る氷の様子だとか、今年の立春は2月4日ですから、まだ10日位早かったですねー。眼前の景であれば何でもよいというわけではなく、やはり「季語の本意」を理解して詠むことが大事なんだと気づかされました。まだまだ季語の本意の勉強が足りないようです。今後の課題としたいと思います。