きっこさん みなさん おはようございます。
きっこさん、句念庵さん、皆さんこんばんは。俳句で歴史を詠むはいいですねえ。当県には伊勢神宮、熊野古道、伊賀など俳句を詠むに困らぬ歴史を持つ地もいくつもあり心して取り組みたいです(^^)。
こんにちは
さくらんぼネーさん、三つの山の名前は、耳成山、畝傍山、天香具山ですねー。
藤原京は、この三つの山に囲まれていました。持統天皇により694年に完成。
710年の平城遷都まで16年間続きましたねー。
5句の紹介ありがとうございます。旅の思い出を句に残して置くと、
あとでも応時に戻り楽しむことができ、いいですねー。
私は、藤原京より50年くらい前の大化の改新のあった645年前後の飛鳥時代に興味があります。中大兄皇子と藤原鎌足が蘇我氏を滅ぼし、大和政権が誕生します。
660年に大和政権が朝鮮へ挙兵しました。白村江の戦です。
その時の天皇は斉明天皇でしたが、九州で急逝します。同行していた中大兄皇子(後の天智天皇)が代って指揮を執りますが、日本と百済の連合軍は、唐と新羅の連合軍に惨敗します。
以後日本は存亡の危機に直面します。
太宰府は、防衛の砦として重要な役割を果さなければならなくなります。
太宰府と天智天皇は歴史上深い因縁があり、興味が募るのであります。
今も、太宰府政庁跡(都府楼址)のど真ん中に
天の川のもとに天智天皇と臣虚子と 虚子
の句碑があります。虚子も太宰府に来て、臣下の礼を取ったと見えます(笑)
俳句で巡る歴史旅、これも楽しいですねー(^^)
きっこさんみなさんおはようございます。
さくらんぼ君、飛鳥寺の入鹿塚,石舞台いきましたよ。
橘寺の往生院の花の絵の嵌め込まれた格天井も寝転んでみました。
現代の日本画家260名が一枚づつ描いたとか。
長谷寺の階段はしんどくてしんどくて、でも藁屋根を被せた寒牡丹が
応援してくれました。
藤原京跡から眺めた名前はなんだったかしら?三つの山に囲まれた景色も
すばらしく、どこも季節を変えて再度訪うてみたいと思いました。
修復の仏像の顔うららけし
善悪のどちらも春思二面石
春耕の荒き土より破片土器
うつかりと蜂を呑み込み阿吽像
酔ふほどに卑弥呼伝説奈良朧
兎波
こんばんは。
さくらんぼネ~さん、 明日香村の聖徳太子の生誕の地である橘寺にも立ち寄られたようですね。善悪の二面石。何を意味するのか、でもどことなくユーモアな面立でもありますよねー(^^)。当時40mもあったという五十塔の大心礎や、大銀杏、やまとたちばな、等が偲ばれます。桜の名所でもありますから、そろそろ開花し始めた頃ではないでしょうか。
あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり 巻3-328 小野 老(おゆ)
この著名な歌は奈良で詠われたものではなく、叙勲の為に都へ赴いた作者が大宰府に帰任して祝宴が設けられた折に、豪華絢爛たる首都の様子を列席の人たちに伝えるべく、こう詠んだのでした。今も太宰府の都府楼址に行くと、傍らでこの歌碑が迎えてくれます(^^)
明日香村にはもう一度行って見たいです。
黄砂も太子を慕って立ち寄ってくれたものと見えますね。
私が立ち寄ったのは、晩秋でした。
甘樫の丘の時雨に飛鳥寺 念庵
入鹿塚、飛鳥寺、石舞台、明日香川、等々、大化の改新の舞台裏に
今一度行ってみたいです(^^)