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スレッドNo.34

時計さんへ

時計さんへ
私も三分間の診察、パソコンで傾聴しない診察には、強い疑問を抱きます。
私は、長い時間をかけて電車などを乗り継ぎ行って、なんとか病院に着いて診察を受けても、結果、悔しい診察も多々ありました。
時計さんの孤独さは、私には分かりません。けれど、取り残された気持ちや家族の中で一人闘っておられるところ、私も似たような気持になります。
大人は変わらない。という言葉に、私も不服な気持ちを持っていました。
大人は変わる人もいるし、又、変わらない人もいる。と、私は思っています。
時計さんは、誠実な方で、ちゃんと振り返り、踏み止まる力のある方のように思います。
睡眠、私もそうですが、改善されると良いですね!

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混ぜ返すようですが、大人はそんなに変わることにこだわらなくてもいいんじゃないでしょうか。
むしろ、今の自分を(今の自分を作ってきたこれまでの自分も含めて)受け容れることが重要じゃないかと。
もしも今、受け入れることができていなければ、受け容れるようになるだけで
(多分大きく)変わったことにもなりますよね。

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ムーミンさんへ
慨嘆とは、ご自身がなかなか変われない。という視点からの慨嘆ではないですか?
私は、お陰様で随分と変わることが出来ました。
けれど、実際私たち大人は変わりにくいと、よく痛感します。
だから、変わるということは、よほどの変化。驚嘆です。
ムーミンさんは、その変化に対して、驚嘆の眼差しがありますか?
すごいね!変わったね!みたいな感動です。ともに喜んで、それを言葉にするという、初々しさです。
「その人が何をしているか?」
ムーミンさんにご迷惑はお掛けしましたが、特に悪いことは、私はしていないつもりです。

引用して返信編集・削除(編集済: 2022年09月08日 01:57)

「大人は変わらない」が慨嘆の言葉であることは既に述べさせていただきましたが、
この言葉の前に「子供に比べると」という文言が実は有りました。
私が児童を診療させていただくようになって、子供の変化(成長)に感動し、思わず出た言葉です。

無論、大人だって変わり得るとは思っています。
だから親御さんの診療も続けています。
言葉って難しいですね。

私が小倉清先生のグループの勉強会「児童分析臨床研究会(現、精神力動的児童臨床研究会)」に参加し始めた頃に、
小倉先生が「思春期になっていたらもう手遅れだ」などと言い放っておられるのを聞いて唖然としました、が、
実際には小倉先生は思春期はおろか「母子デイケア」と称して親御さんにも手厚く対応されています。

言葉は、文脈によっていかようにも意味が変わります。
その文脈を決める上で最も重要なのは、その人が「何をしているか」ではないでしょうか?

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