この椅子に座ると思ってしまう
自分は何でも出来てしまうと
コロンコロン
庭にある桜の葉っぱは柔らかい
朝に咲いたチューリップみたい
ふと 待っていてくれた人のことを思う
ぽかんと口を開けて空を見る
誰も悪くなかったな
今日は おひさまも暖かい
この椅子に座ると
おじいさんもおばあさんもまだ生きていて、変わるものなどないように思う
サンサンサン触れないで眩しくて目を閉じる
淋しいな
あいうえお母さん と 呼びました
君は私の友だち?
少しだけオオカミと私は友だちで、
でもここでは…。
さくらんぼと次の恋が実りますように
今日の随想を拝読し、胸がざわつきました。不登校と発達特性(発達障害?)が切り離せないとのことだと理解しました。
臨床の先生かと思っていましたが、学者先生だったのですね。
今年はこの掲示板で年頭の御挨拶もせずに既に1月3日になってしまいました。
今一つおめでたい気分になれないのは年のせいでしょうかね?(^_^;)
さっそく随想を読んで下さり有難うございます。
でも、腑に落ちるというよりは胸をざわつかさせてしまったのですね。
「学者先生」っていう言葉も「現実に疎い人」を指して言う場合が多いので、
やはりなにか違和感を抱かれたのではないかと拝察致します。
いつかそこのところをお聞かせ頂けるようでしたら大変有難いです。
今年も残すところあと一日。この一年は生きてきた中で一番早く過ぎました。一月一日といえば能登半島地震の揺れが思い浮かびます。震源地から離れていましたが地方でも長く揺れました。その地震からもう一年になります。
銃のかわりに
歌声か
花束か
セーターか
カタバミの花か
おむすびか
本か
カレーか
音楽か
カプチーノか
それぞれの国の美味しい好物か
絵はがきを
持ってきて下さい
素敵な物語も良いです
そして、自己紹介し合う
自己紹介の前には、食べたり歌ったりする これが宿題です
夕焼けの頃には うちとけます
でも 本当は何も持ってきていらない
橋を架けるのは素敵だけど難しい。
結婚は、イヤリングを奪うこともある。
お薬は自分にとって、ダイヤモンド。
必死を馬鹿にする人は、却って信用できない。
執着でない恋心もある。
感動は、心の持ちよう。
星を纏ってやってきた彼女
捨てようと思っているが、捨てられない手紙が少し。
さて、私は、気晴らしにイヤリングをつけたりして、また、花でも飾ろうか?
夢では、アラベスクを弾いている。
本当は、積み上げられた本に、埋もれそうになっているかもしれない。
「傷付けたから、傷付けられた」
素直な万華鏡で見ると、そうらしい。
これからは、眼鏡なら幸せ眼鏡をかけてみよう。
一日が終わって、また
一日が終わっても当然ながら、拍手は起きない。
一日で最後の灯りを消す時が、一番ホッとする。
私の詩は小さな喜びと祈りがあれば良い
私はかつてのあの子にパンジーの花束を贈ってあげよう そして もう恐がらなくてもよい あの辛いことは去っていった 小さな種を残して。 と 言ってあげよう ショパンが生まれた意味などを考えながら辿るピアノは、誰かをしんみりさせるね。人生を変えてしまう程の勇気よりも、小さな毎日が好きなあの子 道端に咲いている草花を見ている方が好きだったよ
明日は大丈夫なんだよ!って言ってあげよう
そうですね。
怒るのは、信じていたから
花が咲くのは、待っていたから
よせてはかえす波を見て、私も泣いた
明けないような暗闇も、日々は繋がっていて、辛い思いも、変わっていく
いつしか夜は明けていく
外に出ると、カタバミの花に、露がひとつあった それは、すぐに消えていくかもしれないけれど、眩しくて、確かに朝を告げたよ。
変わらないものを自分の中で作ってみても、それさえ消えていくものだけど、
一人では生きていけない。ということを知ったから、ありがとう とか ごめんね が、今までより、少し分かる。