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スレッドNo.143

仏教読みました

お久しぶりです。m(*_ _)mこの間オススメされた渡辺照宏さんの仏教を読めせていただきました。少し専門用語が多く難しいところもありましたが、仏教の成り立ちや考えについて詳しくなったつもりです。ところで私なりにまとめると仏教は現実と理想の乖離に苦しみを覚えるから期待をするなというような考え方なのかなっと感じたのですが、とはいえいくらそう考えようとしてもやはり期待し裏切られ悲しくなるそれをいくら低いレベルでも期待してしまい結局それを下回り、そして悲しんでしまう。この連続です。そしたら仏教を極める人達は悲しみがないのかという話になります。極端な話かもしれませんが、ご返答よろしくお願いします

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なるほど。私は完璧主義だとは自分で思いませんが、理想を追い求め、失敗を良しとしないところを考えると悟りを開くまでの道のりは果てしないですね。しかし、ただ欲に負けて自分は弱い人間だと貶めるより発想の転換も必要と感じました。(性欲の話のとこから)。
また何かあったら投稿します( ̄▽ ̄)

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にたまごさん。かなりの”理屈やさん”のようですね。「仏教は現実と理想の乖離に苦しみを覚えるから期待をするなというような考え方なのかな」云々の箇所が、初め、何のことか理解できませんでした。要するに、かくあるべし(理想)と思っても、現実は思うようにはいかない。こういうことですよね。
渡辺先生は、新書「仏教」で苦悩の起源の説明として、こう述べておられます。「人間的存在(五蘊)が苦悩であるとすれば、その苦悩は何を原因とするのか。その原因は欲望であり、それは渇(かつ)えたものが水を求めてやまない状態に例えられるから”渇愛”と呼ばれる。これが再生、輪廻の原因である。それによって、いろいろなものを見ては楽しいと思い、喜び貪る。その欲望は三種類で、官能的欲望・・・生存への欲望・・・生存の断絶への欲望」である。」(99P)
官能的欲望というのは表現が悩ましいですが要は日常一般生活のことだと思います。後の
二つは生きたい、〇にたいと理解しておいていいいでしょう。
さて、にたまごさんのいう「期待する」ということですが、これこそが欲望というものです。失敗したくない。成功したい。それは、渇愛となっていませんか。それらに、執着していませんか。成功に飢えていませんか。失敗してもいいではないですか。失敗は成功の本と言います。もしも、貴君が完璧主義者だったら苦しいでしょう。そこは我慢です。仏教では忍耐と教えています。
親鸞聖人は出家後も己の性欲に悩みました。そして、それに抗することなく妻帯を選びました。しかし、信心が揺らぐことはありませんでした。弥陀の誓願不思議にたすけられていると固く信じていたからでした。そもそも、仏教伝来時、出家というのはインド人の宗教慣習であって、日本人には理解しがたいことだったと思います。現在の僧侶はほとんど妻帯者です。日本人の元々の慣習に戻っただけのことです。

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