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スレッドNo.146

宗教戦争

初めまして紅葉と申します。
40代サラリーマンをしております。
仏家のホームページには度々、拝見をさせて頂いております。
特に時事ネタの憲法を考えるシリーズに感銘を受けました。
ここで質問なのですが、他国では頻繁に宗教戦争が起きていますが、なぜ日本ではそのような事にならないのですか?日本だけ特別なのでしょうか?よろしくお願いします。

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紅葉さん。やはり、舌足らずのようでした。ここでいう「宗教が怖い」という”宗教”は新宗教或いは新興宗教のことを指しています。これらの宗教は創唱者がいて、その創唱者の説く独自の教義あるいは経典解釈があって、しかも、その教義・解釈を信ずる信徒の集団がある。このような条件を満たした宗教を言います。天理教、大本教あるいは創価学会、立正佼成会、オーム真理教などです。これらを、宗教学者の阿満利麿先生は、創唱宗教と名付けておられます。対して、誰がいつどこで始めたのか分からず、人々は慣習的に先祖代々受け継がれている宗教を自然宗教と名付けられています。神道がこれに当たります。そうすると、既成仏教は自然宗教化した仏教と言えると思います。
何故宗教が怖いか。一般人(自然宗教徒)にとって、新興の創唱宗教は得たいが知れないものと見えるからです。特異な経典読誦や解釈、あるいは、密閉空間での信徒の集まり、強圧的な布教。昔の学会はそうでした。近くはオーム真理教がそうして自滅しました。オーム真理教なき今怪しい宗教は出ていません。
さて、次に、宗教と政治権力や経済的利益との関係ですが、宗教勢力は基本的には政治権力とは距離を置く方が多いと思います。権力と宗教の癒着は権力側が宗教勢力を取り込んだ結果が多いのではないかと思います。また、経済的利益は結果であって、金儲けのために宗教を始めるということはないと思います。金儲けだけを目的にすれば長続きしないのではないでしょうか。
また、紅葉さんのご指摘のとおり、日本人は一般的には争いを好まないと思います。新興宗教を警戒するのも争いの匂いを感ずるからです。争いを避けるために自己主張を控えるのが日本人です。しかし、世界の常識は違います。国際関係では国益を基本としなければ、他国に遅れをとります。国家としての自己主張に遠慮は禁物です。
最後に、宗教と戦争の件を取り上げます。アメリカのアフガン戦争が終わりました。この戦争は明らかにキリスト教とイスラム教の戦いでした。民主主義というキリスト教的な考え方をイスラム教徒アフガン国民は受け入れられませんでした。アメリカの敗退はこの事実を教えています。
先の大戦も、日本の国家神道とアメリカの国家キリスト教の戦いであったと捉えることも出来ます。
インドの対英独立戦争にしても、ガンジーのヒンディー主義とイギリスのキリスト教主義の戦いだったと言えます。
清末、政治動乱の中、太平天国の乱が起きました。この集団はキリスト教系の新興宗教で自ら武装し、占領地に独立国を作りました。清政府は外国勢力の力を借りてようやっと鎮圧しました。近くは、法輪功という新興宗教が共産党統治下にも関わらず拡がりました。共産党政府は徹底的な弾圧を加えて壊滅させました。共産党政府は太平天国の乱を想起したことでしょう。

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ご回答いただき、ありがとうございました。感謝しております。
日本でも少なからず宗教による争い事があったなんて知りませんでした。
それにしても流石、ご住職様だけあって知識の豊富差と解りやすい説明で納得できました。
程度の差こそあれ、その原因は政治権力や経済的な利害も複雑に絡み合っている場合があるのでしょうか?
人類の歴史における戦争の大半において、宗教が確かに一役を果たしてきたという点は否定できまません。
日本人は基本的に争い事を好まない人種なのだと感じています、正しい宗教による日本人の考え方が明るい未来をもたらす事もそう遠くない気がしてきました。
因みに私は宗教が怖いと思った事はないです。
自分は少し頭が固いのかな?掲示板、並びに仏家(HP)が益々、発展、成長する事を心より願っております。ありがとうございました。紅葉

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紅葉さん。当ホームページに度々アクセスしていただきありがとうございます。
さて、お尋ねの我が国における宗教戦争の件ですが、日本では、宗派争いと言った方がピタリとくるかも知れません。
平安時代末期から鎌倉にかけて、法然上人が念仏の教えを始めた際には、比叡山の天台宗は朝廷と結んで念仏教徒を弾圧しました。
室町から戦国時代には、浄土真宗に蓮如上人が出て、広く農民の間に、念仏が拡がりました。この集団は一向衆ともいい、各地の領主勢力と対立しました。特に、信長は一向衆に苛烈な弾圧を加えました。石山本願寺との抗争は特に熾烈なものでした。
しかし、浄土真宗の勢力は衰えず、徳川幕府は諸宗諸本山法度を制定して、仏教勢力の統制に乗りだしました。この制度は寺請制度とも言い、人民は必ずいずれかの寺院に所属せねばなりませんでした。つまり、全人民がどこかの寺院の檀家になることが義務付けられたわけです。各寺院は檀家の結婚、旅行の際には、寺請け証文を発行して、行政の一部を担いました。しかし、こうして、仏教教団は財政基盤が保証される代わりに、布教は禁止されました。仏教教団は魂を幕府に売ったも同然でした。
明治の文明開化は仏教教団にとって真の宗教の魂を取り戻すチャンスでした。しかし、仏教界はそうしませんでした。檀家制度は解体されず、各寺院は幕府の保護はなくなったものの檀家制度と墓地経営(墓守)に支えられて、その命脈を保ちました。
しかし、一方、明治時代には神道系の新教団が生まれました。天理教、金光教、黒住教などがあります。恐らく、これら教団の布教は仏教寺院と信徒の奪い合いという形で争いが生じたはずです。仏教と神道の宗派争いと言っていいでしょう。
さて、最後に、創価学会について、我が経験も踏まえて考えてみたいと思います。昭和三十年代から四十年代にかけては、学会の布教活動が最も盛んな時代でした。寺院に押しかけては、法論に挑むということは日常茶判事でした。一般人に対する布教活動も熾烈で、しばしば暴力的でもありました。その問題点を突いた「創価学会を切る」(藤原弘達)という書籍も発売されたほどでした。主催人もしばしば学会員と法論を交えた記憶があります。
そのような学会でしたが、2000年、自公連立政権が成立しました。以来、二十年余、連立政権は続いています。創価学会・公明党は国家権力の一部をこの間担ってきました。今、布教活動は低調のようです。かっての布教への情熱は失われたようです。学会による他教団との宗派争いはほぼ終息したのではないでしょうか。
真宗教団は寺請制度によって、生命力を抜かれました。学会も政権参加によって宗教的活力を喪失しました。
また、日本人には一般的に「宗教は怖い」という感覚があります。オーム真理教は結果的には自滅したのですが、一般大衆の宗教嫌いがそうさせたのかも知れません。つまり、日本人一般は宗教に警戒感をもっており、このような社会状況も宗教戦争が起こらない一つの理由かと思われます。
紅葉さん。説明が舌足らずになったようです。疑問点があれば、再度、問い合わせてください。回答が遅れたことをお詫びします。

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ネット情報から紹介します。臨黄ネットー坐禅会情報ー東京都 で検索してください。
当方のお勧めは上野谷中の「全生庵」(ぜんしょうあん)です。必ず、電話にて確認の上参加してください。坐禅の御利益あらんことを祈ります。

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お久しぶりですです。
私は最近坐禅に行きたいなと思っているのですが、都内でここがおすすめなどはありますか?

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