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スレッドNo.170

無題

ちょっとした疑問なんですが、なんで仏教やイスラム教に戒律のない宗派がないことが厳しいと思わないのですか?

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にたまごさん。ご質問の趣旨は、インド仏教やイスラム教は戒律を重視するのに、日本の仏教は、何故、戒律を重視しないのかということですね。とりあえず、この視点に立って考えてみましょう。
まず、インド仏教ですが、この地の仏教は釈尊の開教以来、出家中心でやってきました。各時代、長者と言われる経済的スポンサーがおり、教団を支えてきました。大乗時代においても事情は同じで、基本的には出家者が中心でした。出家集団は基本的には組織の秩序維持のためににも何らかの規則が必要でした。この規則が戒律に他なりません。
イスラム教はコーラン全巻が戒律集のようなもので、信徒の日常生活の細部まで規定されています。確か、そのはずです。コーランの知識がないもので、ここまでとしてください。
さて日本仏教ですが、伝来のその初め、仏は異境の神として、強大な呪力の持ち主として捉えられました。日本の神を崇拝し廃仏を主張する物部氏は、仏教擁護者の曽我氏と対立しました。最終的には曽我氏が勝利して、仏教重視を掲げる聖徳太子の治世が実現しました。
聖徳太子は仏教を理論的に探究し、三経義琉(さんきょうぎしょ)を著しました。その後、最澄の天台宗、空海の真言宗が起こりましたが、国家安泰を祈る祈祷仏教でした。しかし、一方で、仏教の理論的研究は進展し、鎌倉仏教を準備しました。
平安から鎌倉時代にかけて新仏教が起こるのですが、その祖師方、法然、親鸞、道元、そして、日蓮らは皆比叡山・天台宗の出身でした。
これら祖師方は皆比叡山を下りて、大衆の中に入ってっていきました。大衆には戒律は不要でした。戦いが仕事の武士、魚や鳥獣を殺さなければ生きていけない漁師や猟師。そして、農民たちもまた殺生を犯さずして、生きていくことは出来ませんでした。つまり、日本の仏教は今ある庶民の生活をそのままに仏の救いを説いたのです。つまり、在家仏教と言うべきものでした。特に、浄土真宗は愚禿親鸞というように、頭を丸めた在家でした。
要するに、日本の仏教は信心・信仰を重視し、信心・信仰がそのまま修行というような傾向がどの宗派にもありました。浄土真宗に妙好人という篤信の信徒がありました。彼らは、まさに、生活即信心であって、誰もが認める篤信の信者でした。だから、妙好人と呼ばれました。彼らに、あえて戒律は不要でした。何故なら、生活そのものが持戒の生活になっていたからです。

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