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スレッドNo.229

質問させて下さい。

宗教の質問です。輪廻転生についてです。
宗教によって輪廻転生についての解釈は違うと思いますが、①まずよく知られているキリスト教、仏教、神道、イスラム教においての輪廻転生の概念を教えてください。
②また、何何をしたら輪廻転生ができない。どの生き物が何に生まれ変わることが出来る、などの詳しい話があれば教えてください
③上に載せた宗教以外にも輪廻転生について興味深いのがある場合は教えてください。
宜しくお願いします。

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皆様、回答ありがとうございました。
こんなに沢山の回答をいただけると思ってなかったので嬉しいです。そして本当に勉強になりました。
どの回答も興味深くとても悩んだのですが、今回は主催者様のをベストアンサーに選ばせていただきます。
またご縁がありましたら、その時もよろしくお願い致します。

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根本的なことですが、「輪廻転生」というのは、インドの土着思想で、インドの宗教以外にはない概念です。
従って①キリスト教、神道、イスラム教に輪廻転生の概念はありません
人の生涯は一度きりです。
神道に至っては、神ですらも〇にます。
後年、神道は仏教を受け入れた宗派(吉田神道・伊勢神道)が次々に出てきますが、輪廻転生するのは、神⇒仏・天部などだけで、人は輪廻転生しません。
②仏教の輪廻転生では、必ずしも人に生まれ変われるというわけではありません。
生まれ変わる世界は、6つの世界に分けられています。
その世界は、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6つで総称して「六道」と呼ばれています。
また、地獄、餓鬼、畜生の3つの世界を三悪道といい、特に苦しみの激しい世界だといわれています。
天上界は極楽浄土とは違い、迷いのある世界です。また、悲しみも寿命もあります。
次に生まれる世界は、〇ぬまでに行った行為「引業」によって、決まっています。引業とは、生前に行った悪行のことを意味します。
なので、引業の重さによって、次に生まれ変わる世界が決まります。
地獄には5つの種類があり、生前の行為によって、生まれ変わる地獄も違います。
等活地獄:生き物を〇す殺生罪の場合
黒縄地獄:〇生罪に加えて、他人の物を盗む偸盗罪の場合
衆合地獄:〇生・偸盗罪、淫らなことを行う邪婬の罪をもつ場合
叫喚地獄:〇生・偸盗・邪婬・飲酒の罪をもつ場合
大叫喚地獄:〇生・偸盗・邪婬・飲酒の罪、嘘をつく妄語の罪をもつ場合
ふたたび人間に生まれ変わるためには、「五戒」という戒律を守り続けなければなりません。
五戒とは、不殺生・不偸盗・不邪婬・不飲酒・不妄語の5つのことを意味します。
③輪廻転生思想は、古代ギリシャやイスラム教のごく一部でも見られますが、一般的にイスラム教にはありません。
輪廻転生思想は、インドの土着思想であり、インドの宗教であるヒンズー教やジャイナ教にもあります。
ヒンズー教の輪廻転生思想は、水を生命原理とする思想にもとづいています。
水は天界から雨となって地上にふり、植物を生長させます。
根から水分を吸収して成長した植物は、やがて穀物や果実を実らせます。
それらは食べられ精子となり、母胎内にはいり新たな生命として誕生します。
そして、人は〇んで火葬にされると、水分は煙となってふたたび天上に昇っていきます。
輪廻の主体が、人間の本体、永遠不滅の実体であるアートマン(個体を支配する原理/我)であるとされます。
このアートマンを支配しているのが「業(ごう)」です。
業とは、魂に付着し、その人の生前の行為により魂にはたらきかけ、その人の〇後の運命を決定づける目にみえない力です。
来世にいかなる生をうけるかは、現世の業のいかんにかかっています。
死後に魂がたどる道は、「神道」と「祖道」にわかれます。
〇者が火葬され、生命である水は煙となって天界にいき、月に到達します。
信心は苦行なりと信じ実行する人の魂は、ふたたび〇ぬことのないすばらしい世界=ブラフマン(宇宙を支配する原理/梵)の世界にいけます。
これが神道です。
しかしこの知識を知らず、祭祀やお布施をした者は、雨となって地上にふりそそぎ、その水分を吸収した米・麦・草・木・ごま・豆となり、さらにそれを食べた人の精液となって母胎にはいります。
これが祖道です。
どの母胎にはいるかは、前世の業にしたがいます。
悪行をかさねた人は、犬や豚や賤民の母胎にはいります。
(五火二道説/ごかにどうせつ)
この様な解釈で良いかと思います。
先生の意見とも一致する部分が多く参考になさって下さい。

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小林さん。輪廻転生という考え方(死生観)はインドアーリア人独特のものの考え方であることをまず確認しておきます。
従って、キリスト教、イスラム教、神道にはこのような考え方はありません。
キリスト教とイスラム教は兄弟宗教であって、共に、ユダヤ教を母体として誕生しました。だから、旧約聖書は共通のはずです。つまり、神が人間を創ったという教えは両教に共通する死生観です。
神道は我々日本人の宗教観です。神道は「何故人はこの世に生まれたのか」ということを考えません。もっぱら、死後のことを心配します。つまり、人の魂これを「タマ」と言いますが、人の死後、その人の「タマ」は荒魂(あらみたま)、つまり、悪霊となって、生きている者たちに祟りを起こす。だから、生者は、死者のタマを慰めなくてはならない。これを「鎮魂」(ちんこん)と言います。本来、鎮魂は神道の役割でしたが、仏教伝来によって、仏教の役割となって現在に至っています。当時の祖先たちにとって、仏は強力な神だったわけです。
さて、インドアーリア人の死生観です。インドアーリア人は人間は業(カルマ)を背負った存在と考えます。業は行為つまり日常の積み重ねです。行為は必ず結果を生みます。悪因悪果。善因善果。今生を考えれば、当たり前にこのことは観察されます。しかし、悪因善果。善因悪果ということも世の中起こり得ます。憎まれっ子世にはびこるということもあるわけです。
そこで、インドアーリア人たちはこう考えました。人の生涯は今の生涯だけではない。数々の生涯が繋がっている。その繋がりの一つの結節点が今の生涯である。この繋がりを動かすものが今生の業である。かれらはこう考えたわけです。輪廻転生の発見でした。
つまり、輪廻転生は業が決めるのであって、自分の思い通りになるものではありません。この理(ことわり)を因果の道理と言います。仏教徒の立場に立てば仏が決めるという事でしょうか。仏は即ち因果の道理であるからです。
もう一回確認しておきます。輪廻転生つまり因果の道理はインドアーリア人の思想であって、我々日本人は仏教を通じてこれを知りました。だから、学ばずして因果の道理を知ることは出来ません。
小林さん。主催人は幼少時祖母や曽祖母から地獄極楽の話をよく聞きました。なので、その存在を信じます。地獄極楽をこころの問題と捉える考え方もありますが、主催人は賛成できません。実際にあると信じられるから自分の行為を正すことも出来るのです。

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