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スレッドNo.325

質問させて頂きます。

 ネット検索しているなかで、
こちらのサイトに行き当たりました。
 仏教の死生観を受け入れることが、なかなか出来ません。
仏教の死生観を理解し、受け入れるには、どのような視点や考え方が必要ですか?
 宜しくご教示下さい。

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 ご返答ありがとうございます。
自分の周りの家族は皆、ある教団に
入信しており、自分だけは、関わらないで数十年過ごしてきました。
 一人信心とは、その通りだと思います。
なかなか自分だけでは、道も啓けていきません。
 ありがとうございました。

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水島さん。投稿ありがとうございます。ご質問の件ですが、まず、仏教は宗教であるということを前提条件とすることが必要かと思われます。その上での仏教の死生観の学びだと思います。仏教のそれは言うまでもなく「業と輪廻」です。このような考え方はもともと日本人にはなかったものです。だから、学修が必要なのです。
 水島さんはすでに頭の中(思想)では仏教のものの考え方(業と輪廻)は理解しているのではないかと推察します。その上で、今必要なのは「信心・信仰」です。歎異抄の冒頭に「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏まうさんとおもひたつこころのをこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。弥陀の本願には、老少善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすべし」とあります。
 ここでで親鸞聖人が主張されているのは、救いの母は「信心」であるということです。しかも、「おもひたつこころ」だと言われます。水島さんは、信心をことばで理解しようとしていませんか。聖人の言われる「信心」とは自ずからこころに湧き出してくる「信のこころ」だと思います。
 今一つ「信心」で必要なのは、仏法僧の三宝です。「仏」は信心・信仰の対象であるとともに、指導者つまり師を意味します。「法」は当然に仏の教えです。そして、「僧」です。今は僧侶を意味しますが、本来は僧伽(サンガ)で信徒の集団つまり教団を意味します。水島さんは一人信心になってはいませんか。何か、法縁があれば、その教団に入信するのも一つの方法でしょう。
 当ホームページは仏教に関心のある方々のネット上の意見交換の場です。思ったこと、疑問のこと、何かあったら、投稿してください。何がしか、サンガの代わりになると思います。

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