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スレッドNo.411

生きていくことに疲れました

私は現在30代前半で、小学4年生と1年生の子供が二人います。

妻からの度重なるモラハラパワハラに耐えられなくなり、離婚を申し出て別居中です。

仕事は学校を卒業してから、約10年間自営業を営んできていましたが、離婚を決意した時にやめました。

なので、今はずっと一緒にいた大切な子供達にも会えず、大切にしてきた自分のお店も失った状態にいます。

最近、気が付いたのですが私はHSPなんだと思います。
それにも関わらず、周りから「とにかく働いた方がいい」という言葉に負い目を感じて、スーパーで働き始めたところ、始めての社会や他人と接する事の不安と恐怖で毎日のように胸が苦しく憂鬱な気分になっています。

それに加えて、子供達に会えない寂しさや子供達に悲しい思いをさせてしまっていることへの罪悪感などもあり、男のくせにどこにいても涙が出てきてしまうほど、いっぱいいっぱいで苦しいです。
生きていくことを諦めてしまいそうです。

生活費もギリギリなので、働かないわけにはいかないですし、子供達に会うにしても片道3時間以上かかる距離にいるので難しいです。

なので、ただただ我慢して頑張るしかないのは分かっています。

分かってはいますが、それをこの先もずっと続けていかないといけないと思うと耐えられる気がしません…。

仏教的な解釈で良い意見が聞けると幸いです。

宜しくお願いします。

沢田

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 沢田さん。投稿ありがとうございます。
 ここでは、仏教の死生観をまず説明しておきます。仏教では、縁起と業(行為)を説きます。我々人間を含めあらゆる生命、これらを「一切衆生」といいます。生命ということでは、人間、獣類、魚類、あるいは、昆虫の類・・・皆、同じ存在です。そして、それぞれ、本能にしろ知能にしろ自己の意思で行動すると考えます。この行動を「業」といいます。
 存在については、過去現在未来の三世を考えます。つまり、我々の現在は、過去世の業の結果であり、今の行為(業)は来世の在り方(業)を決めていく。このように考えるわけです。今の存在としての人間そして獣類・魚類は過去の存在の行為の結果なのです。
 われわれ仏教徒は勤行の前に「人身(にんじん)受け難し既に受く。仏法聞き難し、今すでに聞く。」と唱えます。
沢田さん。貴君が今こうして人間としてあるということは、偶然のことではありません。貴君が過去世のいつの日にか願ったことなのです。
 悪因悪果。善因善果。釈尊は「善きことせよ」と常に弟子たちに説かれました。沢田さん。善きことをするよう心がけてください。別居も自らが招いたことなのです。けっして、奥さまを恨んではなりません。何より、仏教を学ぶことです。自然と、自己の在り方が開けてくるはずです。
 なお、PHSについては、専門医に相談してください。   

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