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スレッドNo.86

妙法十句入門

先日投稿したサラリーマンをしている笹本ですが、気になることがあり質問させていただきます。
私はこれまで死生観というものを考えたことはありませんでした。そしてすべてのものに魂が籠っている、死者を成仏することができなかったら化けて怨霊として現れるなど今でも思っていません。しかし読み進めていくうち(半分程度)、私は心がないのか、神戸A少年と大差はないのかと思い始めました。もちろん平気で人を殺したりするようなことは出来ませんが死体を怖いと思うのは自分が死ぬことを想像してしまうことから来るような気がします。この考えは普通のでは無いでしょうか。死後の世界も怨霊も人間が勝手に想像しているだけなように思えてしまいます。失礼なことを発言していたら申し訳ございません。ご返事お待ちしいます。

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ご返信ありがとうございます。確かに行動に移せるのか移せないのかはとても大きな壁があり、自分にはしっかり善の心が育っているのかと少し安心しました。
仕事柄あまり休みは取れないので座禅などには行けませんが主催者様の御本で仏教の思想を学ぼうと思います。

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笹本さん。貴重なご意見ありがとうございます。決して、貴君は神戸A少年ではありません。かの少年と大差ないのではないかと思いつつ、人殺しなど自分には出来ないといっておられるからです。仏教では人の心は、善と悪、両方を併せ持つと考えます。前者が゛仏・菩薩、後者が地獄・餓鬼・畜生の世界です。かの少年にも仏・菩薩のこころがあったはずです。しかし、善であれ悪であれ人の心は育ち育てられるものです。かの少年は善の心が育てられなかったのでしょう。
さて、笹本さんは自分には死生観がないと言っておられますが、そもそも、死生観とは何でしょうか。死生観とは人は何処から来て、何処へ往くのかと言うことだと思います。科学的には考えられない事柄です。現代人の多くが前世や来世(死後の世界)を信じられないのは当然のことと言えましょう。
仏教やヒンズー教では、人は現世の行いにより、生まれ変わり、死に変わり永遠に輪廻すると教えます。このことは、人が勝手に想像したことではありません。釈尊(シャカムニ仏)はじめ多くの修行者が深い禅定の中で体験したことなのです。釈尊はご自身の禅定体験を通して、我々にことばで教えをお示しになられたのです。ことばというところが大切です。体験は言葉では表現できないからです。それを敢えてことばで表現したのが仏教なのです。
仏教は宗教です。しかし、思想でもあります。笹本さん。まず、思想としての仏教を勉強したらどうですか。今、愚老が言えることはこれだけです。

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