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スレッドNo.176

バート・バカラックが逝去

バート・バカラックが8日に亡くなってしまいました。(94才)
年老いてもコンサートをやっていたのにね。

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しんらさん、「マイケルへのメッセージ」八木誠さんがお好きな曲でしたか。
知らなかったけど、不思議な魅力のある曲だと思いますね。
もとは、男性歌手がマーサだっけ?女性に対して「僕は一旗揚げるため旅に出るけど、待っててくれるかい?」みたいな
曲じゃなかったでしたっけ?それを、ディオンヌがマイケルに変えて歌ったというような記憶があります。
バカラック関連の話題は尽きませんな(笑)

告別式か~・・・どんなふうになるんでしょうね。

引用して返信編集・削除(編集済: 2023年02月13日 11:09)

>当時の私は一番多感な17~8歳から二十歳のころで、一番最初に聴いた曲は
>「マイケルへのメッセージ」でした

そういえば、大昔、音楽評論家の八木誠さんが「ディオンヌでは一番好きな曲」と言ってましたよ。番組が彼の自主ローカルだったかTBSラジオだったか忘れましたけど、ディオンヌ何かかけてくださいって初めて葉書出したらこの曲かけてくれました^^。ロックなどに挟まれて流れたのでちょっと違和感ありましたけど(こらこら)。八木ちゃんもとうに鬼籍で残念ですね。バカラック告別式いつなんでしょうね。

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しんらさん、>遺品整理しているみたいな日々
あ~、わかりますわ!その感じ
いろいろ貼ってくださってありがとう
そうでしたね、バカラックの前のトムベルの訃報もありましたからね
そのジャケット、私はLPで持ってましたよ、懐かしい
ほんとに地上がさみしくなっちゃいますね

ひみつちゃんもTMさんのBBCの観ましたか?
すごい顔ぶれでしたね
ほんとにバカラックの曲はバラエティーに富んでいて、笑える曲も多かったですね
What’s New Pussycat?  なんてのもありました

引用して返信編集・削除(編集済: 2023年02月12日 19:17)

連投すみません

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チューブがなぜか貼れないので

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遺品整理しているみたいな日々を過ごしています。もうしばらくこんな気持ちが続くんでしょう。昨年暮れには黒いバカラックのトム・ベルが先に亡くなり、追い打ちかけられました。ということでトムの私の大好きなバカラックカバーYou'll Never Get To Heavenとディオンヌにもアレサにも参加してよく働いて下さったシシー(生きている)の唄声が聴けるAll Kinds of Peopleで。

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TMさん、BBCの特集を今全部観ましたよ、どうもありがとう!
もう、知らない曲はほとんどなくて、すべてにそれぞれのその時の思い出が詰まっていて感無量です
ディオンヌのところにロバ? なんちゅう編集しとんねん!(笑)
それにしても、ディオンヌが最初に歌った曲が多いのもわかりますね
当時の私は一番多感な17~8歳から二十歳のころで、一番最初に聴いた曲は
「マイケルへのメッセージ」でした
トランジスタラジオを常に枕元に置いて、夜もFENをずっとつけっ放し
そんなある時,静かに耳に流れてきたこの緩いテンポの曲に魅了されました
「この人はだれ?」が、私のディオンヌ追っかけ人生のスタートでした・・・
同じころ、ジャック・ジョーンズの歌う「Wives & Lovers」もよく耳にしました
イントロからもうわくわくしてきますね
ともかく、バカラックは別格の偉大なソングライターでした
改めて感謝、そしてまた合掌

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イルカさんも、たしかこのボサリオのシングル持っておられて、以前HPにのせておられましたね、記憶違いかな?
私の兄が持っていて、よく聞いてたピータ&ゴードンのⅠ got picesのシングルのイルカさんの写真と同じくらい記憶にあります。(笑)

たしか記憶違いかわかりませんが、札幌オリンピックのジャネット・リンが、雨にぬれてもを使いましたよね。当時田舎の中学生が
外国人をみるなんて、TVと映画館だけでしたからね、印象に残りました(笑)

私たちは、ほんとにいい時代に青春時代過ごせました。バカラック、ルグラン、フランシス・レイ、ビートルズ、モータウンサウンド。レコード、CD。3本立て映画館、文芸映画、ほんとの巨匠監督映画(笑)

しかし、バカラックも在籍していたA&Мという会社、いい音楽たくさんつくりだしてくれました。日本のミュージシャンもここのスタジオでかなり録音してますが、やはり環境だけではダメかもしれない(笑)
ハーブ・アルパートは、日本ではなじみ薄いですが、かなりレコード売ってますよね。

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バカラック、本当に残念でした。
自分が洋楽を聴き始めた頃は既に自作自演するミュージシャンも多く、自分の好きな人達の多くがそうでそれが当たり前のように思っていました。
ま、これはビートルズがその嚆矢となったと思うし、彼らの功績の一つだと思うのですが、そのおかげで勘違いした人達が増えたとのひみつちゃんのご指摘もそうかもしれませんね(笑)。そんな私が、職業的作曲家として初めて意識したのがバカラックでした。え、この曲もあの曲も?と驚いたのを憶えています。その後、キング&ゴフィンやワイル&マン、グリニッチ&バリーやその他の作曲家(チーム)達に注目していくきっかけとなりましたが、バカラックは別格でした。どれだけ彼の作った音楽が自分の人生に楽しみを与えたかと思うと感謝しかありません。ご冥福をお祈りします。
自分的にはポピュラー音楽史上最高の作曲家だったのでわが国のマスコミの扱いは残念すぎます。ジョン・レノンが亡くなったときに「レット・イット・ビーやヘイ・ジュードなどのヒット曲で知られるビートルズの〜」と報じたのが日本のマスコミですから(笑)。「えーっ、それってポールの曲じゃんかよ!、ジョンが浮かばれないよ〜!」と情けなくなった記憶があります。

バックコーラスに参加したディオンヌがバカラックと出会うきっかけとなった曲です。ホイットニー母のシシー・ヒューストンもいるそうですが。

引用して返信編集・削除(編集済: 2023年02月12日 09:34)

ひみつちゃん、そうなんですよ!
もう、心のどこかにぽっかり穴があいた感じがしています
サンホセは、私も大学時代にフルバンドをバックに歌わせてもらった曲でした
ディオンヌは当時「ドンドンドンのイントロでワウワウワウだなんて、バッカみたい」と言っていて
「でもそんな曲がヒットしてサンホセは有名になり、人口もそのおかげで増えたのよ」と付け加えて(笑)
>万博のセルメン来日
あ、そのタイミングでしたっけね、思い出しましたよ、その頃のことあれこれ

イルカさん、>今日、2月11日はセルジオ・メンデスの82才の誕生日なのですよ。
それは全く知りませんでしたけど、82歳が若く感じられますね
>ボーカルのグラシーニャ・レポラーセはセルジオ・メンデス&ブラジル'77のボーカルに入ります。
 もうこの時はセルメンの妻ですからね。
さすがのイルカさん!そこら辺の豆知識というかエピソードは豊富ですね

ともあれ、バカラック94歳で老衰とされているので大往生と言っていいのでしょう
天国でハル・デイビッドと再会したかな、合掌

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ひみつちゃんの所も雪が凄かったでしょうか?こちらも3cmくらい積もりました。

今日、2月11日はセルジオ・メンデスの82才の誕生日なのですよ。
紹介のYouTube はボサ・リオの「サン・ホセへの道」ですね。
ボサ・リオはすぐ解散してしまうので、ボーカルのグラシーニャ・レポラーセはセルジオ・メンデス&ブラジル'77のボーカルに入ります。もうこの時はセルメンの妻ですからね。

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バカラック亡くなりましたね。
私ははじめてヒットメイカーとして知ったのはこの曲ですね。


当時ラジオでもよくかかってました。万博のセルメン来日にあわせて
このグループも一押ししたかったのでしょうね。当時の日本のレコード会社のセールスのおかげで、ヨーロッパ、南北アメリカの音楽を知ることができ、またそのうえ、作曲家もよく知ることができました。

引用して返信編集・削除(編集済: 2023年02月11日 06:25)

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