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スレッドNo.114

老子でジャーナル

老子第26章
 重きは軽きの根(こん)たり、静かなるは躁(さわ)がしきの君たり。ここを以って君子は、終日行きて輜重(しちょう)を離れず。栄観(えいかん)有りと雖も、燕処(えんしょ)して超然たり。いかんぞ万乗の主にして、身を以って天下より軽しとせんや。軽ければ則ち本(もと)を失い、躁がしければ則ち君を失う。

 重いものは軽いものの根っことなり、静かなるものは騒がしいものの君(あるじ)となる。だからこそ無為の聖人は、終日行軍しても輜重車(しちょうしゃ:荷馬車?)を手離さず、美しい眺めがあっても超然として居室にくつろぐ。どうして(一万台の戦車を持つ)帝王たる者が、天下に対してわが身を軽々しくふるまおうぞ。軽々しくふるまえば根本であるわが身が身を失い、騒がしければ支配者としての地位を失う。

※浩→「重きは軽きの根(こん)たり、静かなるは躁(さわ)がしきの君たり」。思いものが軽いものの根底・根本となり、じっと制止しているものが、軽々しく動くものを支配者となる。軽挙妄動するものは、どっしりと慎重に構える者に最後は抑えられ、せかせかと動き回る者は、じっくりと落ち着いている者に結局は支配されるということです。「躁」は落ち着きのないこと、動き回ること。「輜重」は行軍に限らず旅行の必要物を載せた荷馬車だとも言われます。王者や貴族は軽い馬車に乗りますが、食糧などを載せた荷馬車があとにつきます。「永観」の「観」は“眺められる対象”、観る者の心を奪うような美しく壮大な物や人。建築物に限らない。「万乗」は一万台の戦車。
 老子は尖鋭なるものよりも鈍重なるものを、激しく動くものよりも静かに安定したものを重視します。ここでも軽きもの・騒がしきものを避けて、重きもの・静かなるものを守る、重心を下に落とした無為の聖人の安らかな処世を説いています。孔子も「君子は重からざれば則ち威あらず」と言っていました。
 「得意淡然・失意泰然」という諺を、私は大学時代所属していたボート部の監督・高島勇先生からお聞きしたことがあります。当時、岡山大学ボート部は“万年2位”という悪評?があったようで、春(初夏?)の朝日レガッタにも夏の中国大会や龍谷大学や金沢大学との定期戦にも、秋の関西選手権にもなかなか優勝できませんでした。予選で敗北、敗者復活戦で準決勝に進み、そこで負けるというパターンでした。監督の高島先生は、こういうときいつも「得意淡然・失意泰然」とおっしゃいました。あとのほうを強調されたんですね。このフレーズの出所を調べてみると、明末の儒者、崔後渠(さいこうきょ)の六然(りくぜん)、自處超然、處人藹然、有事斬然、無事澄然、得意澹然、失意泰然のうちの2つで、得意の時でも驕り高ぶることなく、失意の時でも悠然と構えて取り乱さないことが大切であるという意味の格言でした。野田先生は、「厳しく反省・惨めな明日」とおっしゃって、「反省」のほんとの意味を教えてくださいました。感情的に落ち込んではいけない。「どうすれば成功したか」を考えるのが本当の反省だと。日本は歴史的に「動」より「静」を好んできたようです。「多動」の子どもが学校で適応しにくいのもこういう文化のためかもしれません。ある学校で、授業中に動き回って、教師がいくら注意してもやまないので、「ずっと動いていなさい。でも勉強はしなさい」と言ったところ、その子は「動きながらお勉強したそうです。このほうが頭に入る」と。これはナイスアイディアです。そういえば、最近の歌はどれもハイテンポで、歌詞はほとんど聴き取れません。でも若い人たちはそんな歌をすぐに覚えて、カラオケで歌っているようです。昭和前半生まれにはついていけません。ゆったりした演歌は若い人たちにはまったく人気がありません。紅白歌合戦にも演歌を歌う歌手の出場は少なくなりました。まあ、最近はまったく見ないから問題ありませんが、もはや演歌は“伝統文化”になるなんでしょうか。

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