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スレッドNo.118

老子でジャーナル

老子第28章
 その雄を知りて、その雌を守れば、天下の谿(けい)と為(な)る。天下の谿と為れば、常徳離れず、嬰児(えいじ)に復帰す。その白を知りて、その黒を守れば、天下の式(のり)と為る。天下の式と為れば、常徳忒(たが)わず、無極に復帰す。その栄を知りて、その辱を守れば、天下の谷と為る。天下の谷と為れば、常徳乃(すなわ)ち足りて、樸(ぼく)に復帰す。樸散(さん)ずれば則(すなわ)ち器となる。聖人これを用うれば、則ち官長となす。故(ゆえ)に大制(たいせい)は割(さ)かざるなり。

 男性的な美点を知って女性的な立場を保つようにすれば、すべてを受け入れる谷間になれる。すべてを受け入れる谷間になれば、真実の徳から離れることなく赤ん坊のような安らぎを得られるだろう。秩序の整った善性を知って混沌とした悪性をも包容すれば、万物の模範となれる。万物の模範となれば、真実の徳に反することなく善も悪も超えた境地に至ることができるだろう。輝かしい栄光を知ってドン底の屈辱を忘れずにいれば、すべてが集まる谷川になれる。すべてが集まる谷川になれば、真実の徳で心が満ち溢れて切り出したばかりの丸太のような純朴さに帰ることができるだろう。その丸太を細かく切り分ければ、さまざまな用途に用いることができる。「道」を知った聖人はそのような人材を上手く使って人々の上に立たせる。だがそれら人の上に立つ人々のさらに上に立つような人となると、丸太のような純朴さを保ったままの人が良いのだ。

※浩→ここでは無為自然の徳を、“雌(女性的な柔軟さ)”と“谿谷(谷間の謙虚さ)”、“嬰児(みどりごの純真さ)”と“樸(荒木の質朴さ)”などによって比喩的・象徴的に説明しています。「その雄を知りて、その雌を守れば、天下の谿(けい)と為(な)る」─「雄」は男性的な剛強さ、「雌」は女性的な柔軟さ。人間が男性的な剛強さの何たるかを十分わきまえた上で女性的な柔軟さをじっと持ち続けたなら、水の集まり注ぐ谷間のように世界中の人間が帰服してくる偉大な人格となる。天下の谿と為れば、常徳離れず、嬰児(えいじ)に復帰す。「谿」は谷間。谷間は奥深く虚しい存在として老子の「道」を比喩的に説明するのにしばしば用いられています。ここでは「雄」を知り尽くした女、男性的なあり方の本質を十分わきまえた上での女性的なあり方として説かれているところに思想的な特色が見られます。「嬰児」も大人の淫らな欲望にかき乱されない無垢な心身の持ち主としてしばしば無知無欲な有道者のあり方に譬えられ、素朴自然なるものの象徴としても用いられています。「白」は明白、「黒」は暗黒。光と闇、賢と愚、文明と野生の対比とみてもよく、ロゴスの明晰とカオスの混濁、理知的なるものと情念的なるもの、真昼の活動的な時間と夜の静止的な時間の対比とも見えます。明白・明晰な世界の正体を見届けた上で、暗黒・混濁の世界にじっと身を置き、そこに安らぎを見出すことのできるほどの人間であるなら、世界中の人間が、彼に人生の準拠を求め、彼を師と仰ぐようになる。
 土着思想にどっぷり浸ってしまいますが、話題を替えて、ちあきなおみさんの歌に「夜へ急ぐ人」というのがあります。紅白歌合戦でまるで狂気の熱唱が大きな話題になりました。こんな歌詞だったと思います。
 ……カンカン照りの昼は怖い 正体現す夜も怖い 燃える恋ほどもろい恋
 あたしの心の深い闇の中から おいで おいで おいでをする人 あんた誰─
 その後NHKがちあきなおみさんの特集番組を放送しました。その中にも含まれていました。「おいで おいで」のところで、彼女は髪を振り乱して手のひらで「おいでおいで」の仕草をしますが、それが圧巻でした。老子の「光」と「闇」の対比から連想してしまいました。

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