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スレッドNo.128

老子でジャーナル

老子第33章
 人を知る者は智、自ら知る者は明(めい)。人に勝つ者は力有り、自ら勝つ者は強し。足るを知る者は富み、強(つと)め行なう者は志(こころざし)有り。其の所を失わざる者は久しく、死して亡びざる者は寿(いのちなが)し。

 他人を理解する者は智者であるが、己れを知る者は名者である。他人に勝つ者は力を持つが、己れに勝つ者は真の強者である。己れに足ることを知る者は富み、道に努め励む者は向上心を持つ。己れにふさわしい在り方を失わぬ者は永続きがし、死んでも朽ち果てないのを永遠に生きると言う。

※浩→“汝みずからの無知を知れ”と諫めたのは、ギリシャの哲人ソクラテスであり、“汝ら己がために財宝(たから)を天に積め”と教えたのは、イエス・キリスト(マタイ伝)ですが、老子もここで人間の真の知恵、真のとみについて語っています。また人間の真の勇気、永遠の生命について語っています。ソクラテスの諫めには人間の理知への信頼が根底にあり、キリストの教えには神と天国が前提されていますが、老子はあくまで無為自然の道を根底に見つめ、それへの復帰を究極的な関心事としています。
 世間一般の人間の眼は常に外に向かっています。彼らは絶えず対象世界を問題にし、外界の事物に眼を奪われる。彼らは他人の是非善悪をあげつらい、その賢愚美醜を価値づけ、財力・知力で支配しうる者を強者と呼び賢者と呼ぶ。もしくは、他人を体力でねじ伏せ、財力・知力で支配しうる者を強者と呼ぶ。しかし、老子は彼らの外に向けられた眼を内に回(かえ)して、己れの存在の根源に道を見つめるまなざしであって、道への目ざめを持つことによって自己と世界の一切を理解していくまなざしです。人間は、道への目ざめを持ちながら自己と世界の一切を理解していくとき、真の知者とはいかなるものであり、真の強者とはいかなるものであるかを悟るでしょう。あるいは、真の富とはいかなるもので、永遠の生命とはいかなるものであるかをも悟るでしょう。そのときからはまたいわゆる世間で言う智者・強者が必ずしも真の智者・強者ではなく、世間で言う富者・長寿者が必ずしも真の意味の富者・長寿者ではないことをも同時に悟るでしょう。彼の眼が外から内へ向けられるとき、彼の心もまた外から内へ向きを回え、世俗的な価値観が新しい価値の世界に転換されます。そのとき人間は初めて己れの人生にとって何が本当に努力に値するのかという明確な志向を持ち、己れの在るべき本来の場所を見出します。スピリチュアルなお話になってきました。

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