論語でジャーナル2024
第一 学而篇
子(し)曰く、学びて時に之を習う、また説(よろこ)ばしからずや。朋友(とも)あり遠方より来たる、また楽しからずや。人知らずして慍(いか)らず、また君子ならずや。
学問をして然るべきときに何度も繰り返しておさらいすると、その都度に理解が深まり自分のもとして体得される。それこそ人生の喜びではないか。
こうして学んでいると、志を同じくする友だちが遠い所からやって来て学問について話し合う。それこそ愉快なことではないか。
しかしながら、自分の学習が常に人から認められるとは限らない。人から認められないことがあっても、腹を立てない。それでそこ紳士ではないか。
浩→「学ぶ」とは学問することですが、具体的には儒教の重要な教科書、「詩経」と「書経」を読み、礼と楽を勉強することでした。「時に」は「然るべき時」の意味で、「ときどき」のことではないです。
アドラー心理学の学び方は3とおりあると野田俊作先生から教わりました。1つは書物やお話を聞いて、2つはそれを日常生活で実践して、3つめはともに学ぶ仲間と交流して。私たちも、野田先生の講義や講演で学び、日常生活で“横の人間関係”を実践して(いるつもり)、旧倉工講座や旧津山工業講座のような学習の場と、そのあとの打ち上げパーティーで、ご馳走と美酒にホロ酔いながら、ともに学ぶお仲間との交流をはかっていました。そして、現在(2024年6月)、22年ぶりにもとの勤務校・岡山工業高校でこれまた相棒・K先生のマネージメントによって講座が復活して、ほんとに「朋友あり遠方より来たる。また楽しからずや」が実践できています。これはもう奇跡としか言いようがありません。そもそも私たちの講座のルーツは、1992年にアドラー心理学カウンセラーの資格を得た私が岡山工業高校に在職中の1993年9月に、それまで校内研修会だった講座を公開にしたことに始まります。詳しい経過は「浩の自叙伝」にあります。その後、2002年の定年退職後は岡山市内では県生涯学習センターや京山公民館などで、有志の方々のご厚意により継続され、2009年に一旦終了しました。その後2010年に、ともにアドラー心理学を学んでいた倉敷工業高在職中のK先生のご厚意により再開しました。ここ数年の大アドラーブームとはまったく無縁で、倉工教育相談室の先生方と、以前の講座からのお客様でひっそりと、2017年2月まで続きました。つづいて、K先生が転勤された津山工業高校で、同校相談担当の先生と有志の先生方が参加されて、毎月、校内で研修講座を開きました。2023年9月に開講30周年を迎えました。
私は、「人知らずして慍ら(いから)ず、また君子ならずや」の部分がまだまだ実行しにくいです。そもそもスポットライトを浴びるのが大好きな目立ちたがり屋ですから、認められないことがあると内心しょっちゅう怒っています。齢すでに80を超えましたが、まだまだ修業が必要です。