論語でジャーナル’24
子曰く、弟子(ていし=若者)、入りてはすなわち孝、出でてはすなわち悌(てい)、謹んで信、ひろく衆を愛して仁に近づき、行いて余力あらば、すなわちもって文を学べ。
若者よ、奥の間では父母に孝行、表の間では兄弟仲良く、万事に気をつけて嘘をつくな。人々と広く交際しながら、仁者(人格者)に親しめ。こういうことを実践して、余裕があれば、本を読め。
(他の読み方→)若者よ、家の中では父母に孝行を尽くし、家の外では年長者を敬い、発言は慎重に、言ったことは必ず実行し、人々と分け隔てなくつきあい、仁者(人格者)と昵懇(じっこん)にせよ。これだけのことができた上、余力があれば本を読んで勉強しなさい。
※浩→日常実践したい徳目、「孝」「悌」「謹」「信」「仁」「学」……。家族は仲良くしたい。発言は慎重にして、言ったことは必ず実行したい。
アドラー心理学でも、人から信頼されるには「言ったことは実行し、実行できないことは言わないこと」と言われています。躾けのためだと子どもに体罰を与える親がいますが、罰は子どもの人格形成に多大な悪影響があります。最も大きな弊害は、将来、問題を暴力的に解決をする人になりそうなことです。また、罰を恐れて消極的な生き方をするようになるかもしれませんし、罰する人がいるのといないのとで行動を変える、人の顔色をうかがう、二重人格になるかもしれません。
これに対して、「言ったことは実行する。実行しないことは言わない」親ですと、恐くはなくても、言ったことはきっぱり実行しますから、ほんとはこっちのほうがずっと恐いです。野田俊作先生はそういう育児をなさいました。野田家の子どもさんたちは、「うちのお父さんは怒らないけど言ったことは必ず実行するから恐い」と言っていたそうです。
「人々と分け隔てなくつきあい」のは、人見知り傾向の強かった私には苦手でしたが、アドラー心理学に出会ってからは、少しずつ改善されました。ただ、こちらがいくらまわりの人とフレンドリーに接しようとしても、相手にまったくその気がないと、場がシラけます。タイミングが大事です。これまで一旦昵懇(じっこん)になるとそれから先はしばらく良好な関係が続くことはありました。それでも先方は、こちらを必要としなくなったのでしょうか、とさっさと去って行かれます。「諸法無我」「会者定離」です。これは世の定めですから、さからうと自分が苦しくなるだけです。
「これだけのことができた上、余力があれば本を読んで勉強しなさい」については昨今本とネットの比率がしだいにネットに傾いてきました。それでも、愛読書の「論語」や「荘子」「老子」などは身近に置いて、しょっちゅう開いています。アドラーが多大な影響を受けたといわれるニーチェに関する本も何冊か置いてあります。とても難解ですが、野田先生のお助けで、少しずつ読み解いています。