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スレッドNo.233

論語でジャーナル’24

 子曰く、詩三百、一言もってこれを蔽(おお)えば(or さだむれば)、思い邪(よこしま)なし。

 先生が言われた。「『詩経』の詩の数は三百、一言で結論すると『思い邪(よこしま)なし』に尽きる」。

※浩→「詩三百」は『詩経』のことです。『詩経』には三百五篇、題名だけあって本文のないものを合わせると三百十一篇の詩が収められています。その端数を切り捨てて「三百」としています。
 詩の本質が「思い邪なし」というのは、純粋な感情が自然に流露し、しかもそれが調和を保ち、表現が適正で、決して過度に陥ってはならないということです。
 孔子の教育では詩と音楽が尊重されました。その教科書として選ばれた『詩経』の半分以上は民謡で、奔放な恋愛をうたった歌、人生の苦悩をうたった暗い歌なども含みますがそれらの詩をも純粋な感情の上に成立したものとして、孔子が尊んだことをこの章は示しています。
 『詩経』は、中国最古の詩集。黄河流域の諸国や王宮で歌われた詩歌305首を収めたもので、『書経』『易経』『春秋』『礼記(らいき)』とともに儒教の経典(五経)の一つとされました。西周初期(前11世紀)から東周中期(前6世紀)に至る約500年間の作品群と推測されています。内容は、周王朝の比較的安定した時代にふさわしい明るい叙情詩から、混乱期を反映する暗い叙事詩まで多彩ですが、数の上で最多なのは多いのは恋愛詩です。したがって『詩経』は、儒教以前の古代歌謡の黄金時代に花開いた中国文学史上まれな恋愛文学ないし女流文学の一面を持っていて、これをテキストに使う孔子は、粋と言えましょうか。
 実際の詩はほとんどお目にかかることはありません。唐詩は高校の漢文でも習って、おなじみですが、『詩経』は習わなかった気がします。しかもとても難解です。一つ例を挙げます。

 周南・樛木(きゅうぼく)(つる草に絡みつかれる木でもって、女の積極的な愛を受ける男の幸福を歌う)

南有樛木 南の国のしだれ木に
葛藟壘之 かずら草のはうという
楽只君子 喜びあふれる殿方に
福履綏之 良き人の幸(さち)もたらさる

南有樛木 南の国のしだれ木に
葛藟荒之 かずら草のおおうという
楽只君子 喜びあふれる殿方に
福履将之 良き人の幸みたされる

南有樛木 南の国のしだれ木に
葛藟栄之 かずら草のめぐるという
楽只君子 喜びあふれる殿方に
福履成之 良き人の幸とげられる

 私は、詩は作りませんが、かつて短歌を詠んだことがあります。大学卒業直後に赴任した井原市立高校在職中に、学校の近所の小さな出版社から自費出版した詩集が何冊かありました。詩集のタイトルは「三舟(みふね)」で、ペンネームの「三舟史雄」からとりました。大事に保存していましたが、何度か引っ越しするうちに、紛失してしまいました。
 ペンネームの由来は、
 身は舟に心は空に委ねつつ 波の間に間に史(ふみ)を綴らん
 という一首です。こうしていると、いくつか自作の歌を思い出しました。
 喜びも悲しみも分けこの道を 若き師なれば生徒とともに
 二十五の春はむなしく過ぎたれど 幸よ新たに夏来るらし
 弁護士か医師か執事か秘書のうちに 真犯人の八割はおり
 かつてただ送りしのみのこの道を 今送られてわれもまた行く
 なお岡山工業高校には「東天会」という俳句の同好会がありました。そこへも参加させていただきました。俳号は「夢遊」でした。俳句は語数が少ないので、苦労しました。この職場には“玄人はだし”の上手な先生が多くて、唸るほどお上手でした。毎月5句投稿して、メンバー全員がお気に入りを投票します。数年間、お世話になりましたが、1回だけ「天」に選ばれたことがあります。それは、
 飛行雲夢を異国の秋へ引き
 でした。
 地味ですが、会の代表者であったN先生から注目していただいた一句があります。
 寒菊をいけて背筋を伸ばしけり

 はたして「思い邪なし」だったでしょうか。

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