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スレッドNo.247

論語でジャーナル’24

 子曰く、吾(われ)、回と言(かた)ること終日。違(たが)わざること愚なるがごとし。退ぞきてその私(わたくし)を省(み)るに、またもって発(あき)らかにするに足れり。回は愚にあらず。

 先生が言われた。顔回は、私と朝から晩まで話していても、ちっとも異論を唱えない。まるで低能のようだ。私の前から引き下がって1人になっているところ(私生活)をよく見ると。やはり何か思い当たらせるところがある。顔回という男は、低能であるどころか、大した人間なのだね。

※浩→人間の本当の価値は、その人間の唱える議論だけで決まるものではない。その人の日常生活の中で、その議論がどんなふうに生かされているかで決まる。これが孔子の持論のようです。四書五経の1つである『中庸』第3節に「隠れたるよりも見(あら)わるるはなく、微(ひそ)かなるよりも顕(あきら)かなるはなし。ゆえに君子はその独(ひと)りを慎む」とありますが、こういうことでしょうか。
 私は恩師・野田俊作先生の講義をたくさん聞いて学んでいますが、昔はよく質問していました。そのたびに先生は懇切丁寧に教えてくださいました。その後次第に質問することは少なくなりました。それでも「学ぶはマネぶ」で、ひたすら先生の様子を真似て、それを実践してきました。ちょうど2000年ごろに、アドラー心理学カウンセラー資格取得の条件が改定されて、既得者は再受験することになりました。確か、早稲田大学での総会のときでしたか、休憩時間に、私が先生に「自分は生徒に試験をしているのに落ちたら惨めですね」と言うと、先生は「それもお愛嬌ですよ」とさらりとかわされました。結果的には、私は94年の「カウンセラー養成講座」で全課程を再受講していたおかげで、新基準に達成していたということで、再試験を免れました。野田先生から見られて私はもしかしたら「低脳」だったのかもしれません。
 顔回は孔子より30歳年少で、孔子が諸国亡命以前からの弟子でしたが、41歳という若さで孔子に先だって亡くなりました。野田先生は、私より6歳年少ですが、偉大なお師匠様です。毎年お年賀状をさしあげますが、先生からも毎回お返事をいただきました。2020年にいただいた最後の賀状は、先生が残された「論文集」に挟んで宝物として大切に保存しています。

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