論語でジャーナル’24
子曰く、故(ふる)きを温めて新しきを知る、以て師となすべし。
先生が言われた。「煮詰めてとっておいたスープを、もう一度温めて飲むように、過去の伝統を、もう一度考え直して新しい意味を知る。そんなことができる人にしてはじめて他人の師となることができるのだ」。
※浩→「温故知新」、あまりにも有名です。「故きを温めて」の「温」を朱子は「たずねる」と訳し、漢の鄭玄は、「冷えたものを温め直す」と訳していたそうです。
孔子は単なる物知り、過去のことをよく記憶しているだけでは学者になれないと考えたのでしょうが、そこまで言わないで、「ただ物知りでは他人の先生になれない」と控えめに述べたのでしょう。「世界の名著」での貝塚茂樹先生の解説です。
カウンセラー養成講座で野田先生はよくおっしゃっていました。「アドラー心理学を知っている人は多い。でもわかっている人は少ない。知って、その上でわかるには、カウンセラー養成講座に出ないといけない。そうでなければカウンセラーにはなれない」と。私が認定カウンセラーになって32年になりますが、まだまだ「知っている」レベルだと思います。今でも「ああ、あれはこれだったのかぁ」と気づかされることが多いです。野田先生がご活躍中にカウンセラー養成講座の実習を見学していて、野田先生が「パセージかパセージプラスのどこを使いますか?」と問われても即答できなくて、あとで先生から回答を聞くと、「あ、そうだった」というふうに、すでに知っていることばかりです。こういうのを、頭で知っていて身についていない、つまり「わかっていない」と言うでしょう。それでも経歴だけはベテラン並みですから、ボーッとしていてはいけません。謙虚さも必要ですが、誇りと自信も必要です。矜持というのですか。自信はアドラー心理学の用語で言えば「勇気」です。人様を勇気づける方法を始終学んでいても、自分を勇気づけることを学ぶ機会はあまりありませんから、自分に関しても、適切にふるまえたことや適切な側面に正の注目をして、しっかり勇気づけていきたいです。常に自信たっぷりのように堂々とふるまわれている相棒K先生からも、おこぼれをちょうだいしないといけません。講座が倉敷から津山へ移動して6年続けて、この春からは出発点の岡山工業高に帰って、今月で5回実施できました。参加者はそこそこですが、どなたも大変熱心に学ばれます。私の余力がどれくらいかは不明ですが、講義のネタは尽きそうにありません。