論語でジャーナル’24
子曰く、君子は器ならず。
先生が言われた。「立派な人間は決して単なる専門家ではいけないものだ」。
※浩→「器」はある特定の用途に応じる道具のことです。人間はそんな1つの働きしかしない機械であってはいけない。単なる専門家ではいけない。“専門バカ”という乱暴な表現がありますが、“この道一筋”の達人も、おそらくは専門領域以外の周辺領域の、雑学とも思える領域にも通じているのではないでしょうか。
野田俊作先生はもともと精神科のお医者さんで、統合失調症の治療法を学ぶためにバーナード・シャルマン先生のもとへ行かれたら、シャルマン先生がたまたまアドラー心理学だったそうです。それで日本へ導入されて普及・発展にご尽力されました。さらに先生はチベット仏教の信徒さんでもあり、「アドラーネット」の過去ログや「補正項」を拝読しながら、ほんの少しだけおこぼれをいただいたいます。難解なところはパスして、七転八倒しながらせめて理解できる部分だけでもと、ちゃっかり日々の暮らしに取り入れさせていただきます。
自称・野田先生の愛弟子(あちらはそう思っていない?)である私も、雑学には自信があり、しょっちゅうK先生に聴き役になっていただいて、蘊蓄を述べています。K先生はイヤな顔ひとつしないで、いつも熱心に聴いてくださいます。
落語は今も昔も大好きです。母も落語が大好きで、特に三遊亭圓生が贔屓で、当時はカセットテープに録音して聴いていました。いくつかの名作を今も大事に保存していて、たびたび聴いています。「小言幸平衛」「死神」「妾馬(八五郎出世)」「掛取り」などが好きで、芝居ものでは「淀五郎」「中村仲蔵」がいいです。
岡山工業高校在職中には、同僚だった故・細川公之先生が歌舞伎と落語が大好きで、彼は「芝居は江戸」「落語は上方」とおっしゃっていました。彼は桂米朝と枝雀が特にお気に入りで、たくさんのカセットテープを貸してくださいました。圧巻は「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」です。これはのちに桂文珍がNHKテレビで演じているのを視聴しましたが、本来1時間を超える超大作を40分くらいにまとめていて、それでも笑いのツボはきちんと押さえていて感動しました。ところで米朝師匠にはできて弟子の枝雀にできない演目もありました。「たちぎれ線香」「菊江仏壇」「三十石」などがそうです。倉工講座の中で、私はたびたび落語を引用しましたが、その後津山講座になってからは時間が短いため、アドリブを入れる余裕がありませんでした。今週から岡工講座になって、時間が倍になり、アドリブを入れることができるようになりました。先月はアドリブのために「質疑応答」の時間がなくなりました。さて、今週土曜日の講座ではどうなりますか。講義内容が濃厚ですので、またそうなるかもしれません。