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スレッドNo.291

論語でジャーナル’24

 子曰く、君子は争うところなし。必ずや射るか。揖譲(ゆうじょう)して升(のぼ)り下(くだ)り、而(しこう)して飲ましむ。その争いは君子なり。

 先生が言われた。「君子は何事においても争うことがない。例外として弓術の競争(射礼)がある。射礼のとき、堂上に上って主君に挨拶し、堂上から降りて弓を射るが、そのときには、お互いに会釈して譲り合う。競技が終われば勝者に酒を飲ませる。その弓争いの様子は君子である」。

※浩→貴族として国家を治める士大夫(君子)は、一切の争いごとを好まないですが、例外として射礼(弓の競技)があります。君子が射礼に臨むときは、招待してくれた主人に挨拶するために堂上にのぼり、それから、弓を射るために堂上を降りますが、その際に君子は、両手を前に組み合わせて丁寧にお辞儀をする「揖譲(ゆうじょう)」をしなければならないと孔子は言います。現代ふうに言うと、スポーツ競技の正々堂々としたスポーツマンシップや勝負の敗者への労わりを見せるジェントルマンな振る舞いを意味していると言えます。日本だと、お相撲を連想します。古式豊かに、令和の現在も、土俵上は女人禁制で、衣装は力士は“まわし”一丁ですが、行司は中世から近世の侍の装束です。闘い合う力士同士も「礼」を心がけます。サッカーや卓球などでは、勝者がガッツポーズをするのをよく見かけますが、力士は、以前、モンゴル出身の朝青龍がやって、顰蹙をかったことがあります。これくらい、マナーを重視するスポーツが日本にありながら、日常生活に及ばないのが残念です。巷では、無礼無作法があふれています。小中学生はお行儀が良いのに、大人になると忘れてしまようです。催眠で行われる「後催眠暗示」のような手続きが必要なのかもしれません。「あなたは今とてもお行儀が良いです。ということは大人になってもずっとこのお行儀の良さを、あなたは続けていくことができます」と。
 「争わない」のは『老子』で、“柔弱謙下(にゅうじゃくけんげ)”とか“謙下不争”とか言われます。ただ老子の場合は、謙遜しながらも心中ひそかに逆転を企んでいるかのような逆接的発想だとも言われていますから、したたかな処世術ではあるようです。乱世には必要なことでしょう。

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