論語でジャーナル’24
子夏問うて曰く、巧笑倩(こうしょうせん)たり、美目盼(びもくはん)たり、素(そ)以て絢(あや)と為す。何の謂(い)いぞや。子曰く、絵の事は素(しろ)きを後(のち)にす。曰く、礼は後なるか。子曰く、予(われ)を起こす者は商なり。始めて与(とも)に詩を言うべきのみ。
子夏がたずねた。「笑窪(えくぼ)あらわに、可愛い口元。白目にくっきりとした美しい黒い瞳。白さに対して際立つ彩りの絢(あや)。という詩は何を意味しているのでしょうか?」先生が言われた。「絵を書くときに、胡粉(ごふん=白)をあとで加えるということだ」。子夏が言った。「(仁が先にあり)礼が最後の仕上げになるのですか?」。先生が言われた。「お前こそ私の啓発者、お前とこそ初めて詩の論議ができる」。
※浩→「商」は子夏の実名。子夏が孔子に、「巧笑倩兮、美目盼兮、素以為絢兮」という『詩経』にある「衛風」の「碩人篇」中の句について質問しています。孔子はこの『詩経』の詩の解説を通して、子夏に他者に対する思いやりとしての「仁」がまず先にあり、最後に徳の完成として「礼」があることを気づかせたのです。
「巧笑倩」の「倩(せん)」は口元のえくぼに愛嬌があること。「美目盼」の「盼(はん)」はぱっちりと黒目と白目が鮮やかなこと。
いつも言いますが、現代社会の最大の欠陥は「礼」の欠如と不足でしょう。どこに行っても、「傍若無人」、ほんとに「傍らに人なきがごとし」です。人と人も、車と車も、国と国も、とにかく、「譲る」ということをしない。「マナー」という緩やかなレベルでなくて、しっかり「法令」で定められているルールさえも守られない。世間を騒がせている「あおり運転」なんかする人は、いったい何を考えてやっているのか!クレイジーとしか言いようがない。“江戸しぐさ”という素敵なマナーがあったそうです。江戸時代は、260年以上もの間、経済の繁栄と戦争のない平和がもたらされた時代です。そこには江戸商人のリーダーたちが築き上げた、よりよく生きるルールのようなものがありました。その基本は思いやりの心(惻隠の情)を持って、みんなが仲良く、平和の下で共に生きるために争いごとを少なくし、人に対する言葉遣いやしぐさにも気を配るというものです。次第に江戸の町に住む人たちにも浸透していったと言われています。そのような日本の心、特に江戸ならではの心映えが、のちに芝三光師(江戸時代から6代にわたって続いた家系。曽祖父、祖父が江戸の講の講師)によって「江戸しぐさ」と名付けられ、芝師に師事した越川禮子氏が「江戸しぐさ」の語り部として今に伝承してきたそうです。江戸時代からあったという説には異論がありますが、「礼」がすっかり消えかかっている現代ですから、素直に参考にしてもいいと私は思います。ネットに例が載っていましたので引用しておきます。
・傘かしげ
雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違うこと。
・肩引き
道を歩いて、人とすれ違うとき左肩を路肩に寄せて歩くこと。
肩が触れあってトラブルになることは今もしょっちゅう起きています。
・時泥棒
断りなく相手を訪問し、または、約束の時間に遅れるなどで相手の時間を奪うのは重い罪(十両の罪)にあたる。
うわー、これも「あるある」です。当時は確か十両盗んだら死罪だったはずです。
・うかつあやまり
例えば相手に自分の足が踏まれたときに、「すみません、こちらがうかつでした」と自分が謝ることで、その場の雰囲気をよく保つこと。
今はこういうことはないですねえ。絶対踏まれたほうはキレます。
・七三の道
道の真ん中を歩くのではなく、自分が歩くのは道の3割にして、残りの7割は緊急時などに備え他の人のためにあけておくこと。
全然こんなことはありません、今は。すれ違う人も車も1ミリも譲りません。いつも私のほうが端へ寄っています。向こうは当然のように知らんふりして通り過ぎます。
・こぶし腰浮かせ
乗合船などで後から来る人のためにこぶし一つ分腰を浮かせて席を作ること。
電車に乗っていると、お行儀の良い人はこうしてくれます。悪い人は2人座れる椅子に荷物を置いてふさいでいます。
・逆らいしぐさ
「しかし」「でも」と文句を並べ立てて逆らうことをしない。年長者からの配慮ある言葉に従うことが、人間の成長にもつながる。また、年長者への啓発的側面も感じられる。
私は、以前はよく「でも」と反論していました。最近はしません。アドラー心理学と相棒K先生のおかげです。
・喫煙しぐさ
野暮な「喫煙禁止」などと張り紙がなくとも、非喫煙者が同席する場では喫煙をしない。
・ロク
江戸っ子の研ぎ澄まされた第六感。五感を超えたインスピレーション。江戸っ子(江戸しぐさ伝承者)はこれで関東大震災を予知したという。
これは、母が亡くなったとき、東京へ研修出張していた私は、その日の午後の部をさぼって、早めに帰宅しました。そうして良かったです。母がコンロでお湯を沸かしている最中に台所に倒れていました。予定どおり深夜に帰宅していたら、とても大変なことになっていたと思います。
・お心肥やし
知識・機能を増やすだけでなく心・感性を磨く。
毎月の講座のあとの「懇親会」がこれになっています。
・見越しのしぐさ
先を読む。
思いやりの心(惻隠の情)というのは、『孟子』の「四端の心」の1つです。
「四端の心」は、
1.惻隠…他者の苦境を見過ごせない「忍びざる心」(憐れみの心)
2.羞悪…不正を羞恥する心
3.辞譲…謙譲の心
4.是非…善悪を分別する心
孟子の「性善説」の根本思想で、仁義礼智という四つの徳の根本となる心のことです。
孟子は「惻隠の心は仁の端なり、羞悪の心は義の端なり、辞譲の心は礼の端なり、是非の心は智の端なり」と言い、この四つの心は功利打算などによるものではなくして、人に本来備わる「忍びざるの心」であり、それを拡充することで仁義礼智が成就すると考えました。
それでも、ときどきは、路上でもスーパーの店内でもスポーツジムでも、きちんと会釈される人に出会えます。こういうとき、「世の中捨てたもんじゃない」と嬉しくなります。