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スレッドNo.303

論語でジャーナル’24

 王孫賈(おうそんか)問うて曰く、其の奥(おう)に媚(こ)びんよりは、寧(むし)ろ竈(そう)に媚びよとは、何の謂(いい)ぞや。子曰く、然らず。罪を天に獲(う)れば、祷(いの)る所なきなり。

 王孫賈がたずねて言った。「“部屋の奥の神の機嫌を取るより、竈(かまど)の神の機嫌を取れ”という諺は何を意味しているのでしょうか?」。先生は言われた。「そうではない。至高の天に対して罪を犯したならば、どこにも祈る場所などはないのです」。

※浩→衛の霊公の大臣であった王孫賈は実力で霊公を圧倒して、事実上、衛の政権を掌握していました。孔子は衛に亡命したのですが、そのときに実力者の王孫賈を無視して、正統な君主である霊公に丁重な挨拶をしに行きました。これに憤慨した王孫賈は、「部屋の奥の神の機嫌を取るより、竈の神の機嫌を取れ」という諺を引いて、「名目上の君主である霊公」ではなく「実質上の君主である王孫賈(自分)」に断りを入れるほうが孔子の利益になることを説こうとしました。しかし、周の礼制を尊ぶ孔子はその不正な申し出を断って、「至高の天(正統な身分秩序)」に逆らえば、誰に祈ってもすべては無意味なことである」と説きました。天命思想や王政復古を前提とする儒教では、家臣が君主の身分を実力で簒奪する下克上(謀反・反乱)を極めて厳しく非難します。日本の歴史では、鎌倉時代以後は“下剋上”の連続でした。
 「竈(そう)」は“かまど”で、家の中の重要な位置にあるので、祭祀の対象でした。その竈の祭りは、まず竈本体の前でして、さらに奥(おう)といって内側の部屋の西南の隅(家屋の一番奥まったところ)でもう一度祭り直しました。今の日本の台所で「竈(かまど)」のあるおうちはないでしょう。システムキッチンか、そうでなくても、シンク(「流し台」と言えばいいのに)と調理台とガスレンジかIHヒーターでしょう。昔の田舎の家の台所は土間で、そういえば水道などなくて、流し台のそばに大きな水瓶がありました。そこへ戸外にある井戸からバケツや桶で一々水を運んで、そこに溜めて使っていました。水くみは主婦の大きな負担でした。わが家の井戸は母屋を出て、家の前の畑を横切った山際にありました。ポンプもなくて釣瓶で一々くみ上げていました。深い井戸で、夏は水が冷たく、冬は温かく感じられました。夏にはよくスイカを井戸に入れて冷やしていました。台所には竈があって、燃料は薪でしたから、天井は煤だらけで、そのため、必ず年末に「煤払い」という作業をしていました。季節の風物詩です。竈の上のほうに「神棚」が設置してありました。お札がが貼ってあって、徳利のような小さな花瓶に松がいけてありました。私たちは「かまど」とは言わないで、「おくど」とか「おくどさん」と読んでいました。「へっつい」とも言うんですね。「へっつい幽霊」「へっつい盗人」という落語があります。

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