MENU
45,501

スレッドNo.305

論語でジャーナル’24

 子曰く、周は二代に監(かんが)み、郁郁乎(いくいくこ)として文なるかな、吾(われ)は周に従わん。

 先生(孔子)がこうおっしゃった。「周の礼制は夏・殷の二代を模範とし、咲き誇り良い香りのする花の如く美しいものである。私は周の礼制(伝統)に従おう」。

※浩→孔子が、最高に優れた文化と儀礼を持った時代と考えていたのは「周王朝(魯の先祖が建国した国)」の時代です。特に孔子が尊敬していたのは、殷周革命を実現した武王に仕え、武王の子・成王に大政奉還した周公・旦(しゅうこうたん)です。それは、太公望・呂尚とともに武王を補佐した周公・旦が、周の政権を取ろうと思えば取れた立場にありながら、その実権を自ら進んで主君である成王に返還(大政奉還)したからです。下剋上が相次ぐ混乱した春秋時代に、孔子が目ざした理想の政治は、突き詰めれば、伝統的な「周礼」に還ることで、正統な君主に政権を返す「王政復古」の実現でした。周礼に還る政治とは、人民の礼節と為政者の徳性によって国家を治める徳治政治です。
 「為政篇」に「子曰く、これを導くに政を以ってし、これを斉(ととの)えるに刑を以ってすれば、民免れて恥なし。これを導くに徳を以ってし、これを斉えるに礼を以ってすれば、恥有りて且(か)つ格し/格る(ただし/いたる)」とありました。
 先生(孔子)がこうおっしゃった。「人民を導くのに法制をもってし、人民を統治するのに刑罰をもってすれば、人民は法律の網をくぐり抜けて恥じることがない。人民を導くのに道徳をもってし、人民を統治するのに礼節をもってすれば、人民は(徳と礼節を失う悪事に対する)恥を知りその身を正すようになる/正しい道に至るようになる」。
 まことに孔子の理想とした政治のあり方とは、有徳の君子が「仁・義・礼・智・信の徳」をもって率先垂範を旨とする政治にあたることで、人民に道徳や良心を植え付けることで「自律的な社会秩序」を構築することでした。孔子の思想は、悪事をした人間に懲罰を与えて痛めつけたり自由を奪うことで犯罪や無礼を抑止しようとする「法家」(韓非子・李斯)とは正反対の政治思想と言えます。孔子は、人民を恐怖(処罰)」によって秩序を維持する政治を行うことに反対し、人民を徳化(教育)することによって、自発的な社会秩序を生み出そうと尽力したのです。こういうところが、アドラー心理学の「勇気と責任」や「共同体感覚」という考え方に通じるようで、とても親近感を覚えます。学校の現状は「法家思想」的な懲罰主義のようで、孔子の理想からはほど遠いようです。そうそう、岡山県備前市には「閑谷学校」といって、江戸時代の岡山藩主池田候が庶民のために作った学校があります。「孔子廟」もあって、講堂では今も『論語』の講読が行われています。残念なのは、せっかくこの講堂で論語を唱えても、それが日常の生活にほとんど生かされれていないことです。ご本家の中国ではどうでしょうか?どれくらい孔子や孟子の教えが今の時代に生かされているのでしょうか?

引用して返信編集・削除(未編集)

このスレッドに返信

このスレッドへの返信は締め切られています。

ロケットBBS

Page Top