論語でジャーナル’24
子貢(しこう)、告朔(こくさく)の餽羊(きよう)を去らんと欲す。子曰く、賜(し)よ、汝は其の羊を愛(おし)むも、我は其の礼を愛しむ。
子貢が、生きた羊を宗廟へ犠牲として捧げる毎月一日(朔日)の魯の儀式を、(貴重な食糧の羊がもったいないということで)廃止しようとしたことがある。先生は言われた。「子貢よ、お前は犠牲に捧げる羊が惜しいのだろうが、私は羊を惜しんで失われる礼のほうが惜しいと思う」。
※浩→「告朔」の「朔」は毎月の“ついたち”のこと。羊を生贄(いけにえ)として宗廟に「今日はついたちです」と報告する儀式が魯にありました。これはもとは君主親臨のもとに行われていましたが、孔子の前百年ばかりの文公のときから君主は臨席せず、ただ形式的に羊を供える儀式だけが残っていました。秀才の子貢(本名は賜)は財政を節約するために、羊を生贄にするのをもったいないと思い、儀礼を廃止しようとしました。過去から続く伝統を大切にする孔子は、儀式の安易な廃止に異論を唱えて、「過去の儀礼(祖先への畏敬)を守る」ことが礼の現れであると語ったのです。
経済成長のために文化的遺跡をどんどん壊していく現代の政策への痛烈な批判とも受け取れます。音楽の世界では、「クラシック」が今も人気です。日本にも楽器演奏家や指揮者に世界的に著名な人が大勢います。恩師・野田先生のクラシック音楽への造詣の深い方でした。私は先生の足下にも及びませんが、好きな作曲家は何人かいます。好きなジャンルもあります。まずモーツアルトの最後の交響曲3曲と、様々な楽器の協奏曲と、三大オペラです。とても一般的な趣味だと思います。オペラでは他に、プッチーニとヴェルディの一部の曲が好きです。先日、野田先生の過去の日記を読んでいると、先生も「椿姫」や「トスカ」を聴かれていることがわかって嬉しくなりました。最近の日本の流行歌の類いは、お好きな人には申し訳ないですが、どれを聞いてもただハイテンポでかしましく、ヒットしても半年か1年たつと、すっかり忘れられて、次の曲がもてはやされています。そういえば、あれほど流行った「U,S,A, カーモンベイビーアメリカ……」もすっかり消えました。でも、バッハやモーツアルの曲はあちこちで演奏され、FM放送では毎日聞くことができます。街並みでも、特にヨーロッパでは、古代や中世の遺跡を残したまま現代化が進んで、絶妙の調和をなしています。日本は、古いものはどんどん壊して、どこの街も全国同じ顔に見えます。路面電車が車の間を縫って走るヨーロッパの街には憧れます。岡山の路面電車も長く愛されています。路線延長が計画されているはずなのに、一向に工事が始まらないのにいらつきます。岡山駅から市役所まで延長する計画はどうなったのでしょう。今の駅前電停を駅構内に引き込むプランはやっと工事中です。蒸気機関車は山口線と大井川鐵道などで走っています。昭和期の映画では、東海道線も山陽線もSLが走っていました。そのシーンを撮影するには、この2つの路線のどちらかが使われるのでしょうが、「単線」で映っていて現実味が薄れます。それと、電化区間だと「架線」が映っていたりすると、これまた現実味を損ないます。かといって、CGではどうかと思いますしねえ。
私が子どものころは、よく「おついたち」には赤飯を炊いて祝っていました。この風習は、今でも実践できそうです。もっとも、作ってくれていた母がいないので、お赤飯はスーパーマーケットで買います。