論語でジャーナル’24
定公問う、君、臣を使い、臣、君に事(つか)うるにこれを如何(いかん)。孔子対(こた)えて曰く、君、臣を使うに礼を以てし、臣、君に事うるに忠を以てす。
魯の定公がたずねられた。「君主が家臣を使い、家臣が君主に仕えるにはどのような心がけを持てばいいだろうか?」。孔子は答えて申し上げた。「君主が家臣を使うには礼節をもって臨み、家臣が君主に仕えるには忠実なまごころをもって臨むことです」。
※浩→定公は魯の君主で、兄の昭公が家老たちに追い出されて、国外で野垂れ死にしたあと、権臣たちに擁立されて、BC509年からBC495年まで在位しています。孔子の43歳から57歳までで、かつ孔子が魯の大臣として抜擢されたのは、この君主のときでした。その孔子に定公が問いかけた言葉です。君臣の関係はどうあるべきであるかと。孔子は、君主が家臣に対する場合には「礼の伝統」に依拠し、家臣が君主に対する場合には「忠=まごころ(誠実)」を発揮すべきだと回答しました。
現代の職場、組織で、管理職は部下に「礼」をもって対し、部下は管理職に「忠」をもって臨むと言うと、封建的な感じがするでしょうか?「礼」と「忠」の真の意味をきちんと理解していればそんなことはないと思います。逆を考えるとよくわかります。「礼」の逆は「無作法」で、「忠」は狭義に「忠義」を言うのではなく「まごころ」「誠実」という意味ですから、逆は「裏切り」「不実・嘘つき」になります。こう考えると、現代にも十分適用できそうです。日本人は「まごころ」とか「誠実」いう言葉が大好きです。私が22年間勤めた岡山工業高校の校訓は「誠実勤勉」でしたし、最近非常勤で勤務したる津山の高校は「至誠敢行」でした。幕末の新撰組の旗には「誠」とありましたし、人名にも「誠」のほか別の漢字で「真」や「信」で“マコト”、「真琴」で“マコト”なら女性の名前になります。こんなにも誠が大好きなはずの日本人に最近は嘘つきが増えて困ります。