論語でジャーナル’24
子曰く、不仁者はもって久しく約に処(お)るべからず、もって長く楽しきに処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。
先生が言われた。「仁の徳を体得していない人、つまり不仁者は、長期にわたって困難な生活を続けることはできないし、逆に安楽な生活を続けることもできないものだ。これに対して、仁を体得した人、つまり仁者は、仁の徳自体に落ち着いているし、知者は仁の徳を手段として用いているのだ。
※浩→「約」は「節約」という熟語があるように、「乏しい(窮乏の)生活のこと」。不仁者は貧乏な生活に耐えきれず、罪を犯すようになるし、安楽な生活に慣れて驕り高ぶるようになる。そのように不仁者は外界の支配を受けるが、仁者は仁を人生の最高の目的として、これに安住しているので、外界の影響など受けることがない。
知者は、仁を行えば自己にとって有利であるから、手段として仁を行う。知者ははたして境遇の影響から無関係に、仁を守れるかどうかは問題でしょう(←「世界の名著」の貝塚茂樹先生の解説から)。
知者と仁者はしばしば対比して述べられています。あとの章に出ます。例えば、「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し」(「雍也篇」)。要するに、「動」と「静」の二項対立のようです。組織で言うと、下っ端はこちょこちょ動き回っていて、上層部はどっしり構えているということに通じるのでしょうか。刑事物ドラマを見ていると、現場で刑事たちが捜査のために足を使って動き回ります。本庁では“お偉いさん”たちが、テーブルに着いて、マイクであれこれ現場に指示を出しています。『踊る大捜査線』では、現場の青島刑事が叫びます。「事件は現場で起こっている!」と。偉そうな女性監察官(真矢ミキさん熱演)が、「事件は会議室で起こっているのよ」と反論して、ちぐはぐな指示を出して、事件は迷路に入っていきました。考えさせられました。リーダーがアホだと組織は潰れます。別にうろちょろ動けという意味ではありません。東日本大震災で福島の原子力発電所がやられたときに、当時の総理大臣は自らまっさきに現場へ駆けつけました。あれはトップがうろちょろした好例です。現場へ行くのは、下役に任せて、「トップは会議室にいろよ」と言いたくなりました。野田先生はいち早く、そのことをおっしゃっていました。野田先生がお元気なころは、毎年夏のカウンセラー養成講座を見学してきました。そこでは必ず、アドラー心理学を「知っている」のと「わかっている」のと「(実践)できる」のとの違いを教えられました。自分がどれだけ「わかって」「実践」できているか、日々の自己点検を怠らないようにします。あるテレビ番組で、夜間中学を取り上げていました。そこには、日本へ避難してきた外国人も学んでいました。学校の方針は、「わかるまで」「できるまで」教えるということでした。日本中の学校が、生徒さんたちにがわかるまで、できるまで教えてくれるようだと、どんなに素敵なことでしょう。