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スレッドNo.338

論語でジャーナル’24

 子曰く、富と尊きとは、これ人の欲するところなり、その道をもってせざれば、これを得るも処(お)らざるなり。貧しきと賤しきとは、これ人の悪(にく)むところなり、その道をもってせざれば、これを得るも去らざるなり。君子仁を去りて悪(いず)くにか名をなさん。君子は終食の間も仁を違(さ)ることなく、造次(ぞうじ)にも必ず是(ここ)においてし、顚沛(てんぱい)にも必ず是においてす。

 先生が言われた。「財産と地位とは世間の人が欲しがるものだ。正当な理由で手に入れたものでなければ、それにあぐらをかいていられない。貧乏と下賤とは世間の人がイヤがるものだ。正当な理由がないのにそうなったのならば、それから逃れようとしない。立派な人間は仁の徳から離れて、どこに名誉を求めることができよう。このような人はまた、食事をとっている間も思いは仁の徳から離れない。立派な人はどんな慌ただしいときにも、仁を念頭に置いているし、躓いて倒れるときでも仁を念頭に置いている」。

※浩→「世界の名著」の貝塚茂樹先生の解説によれば、孔子は春秋時代の乱世に、不義で富貴を得て出世した政治家たちを軽蔑し、そうなろうとはしなかったが、富貴そのものを排除したわけではない。人間は幸福を求めるもので、富貴は人の望むところだが、不義にして富貴を得たとしても、それは至福の状態ではないと考えた、とあります。
 “あすなろ”ふうアドレリアンの私も、幼少期の親の躾けのおかげで、あえて不正を働いて富を得ようとは思わないで、なるべく人迷惑なことはしないように心がけています。つきつめればこれも偽善かもしれないですが、できるだけ「マナー良く」を心がけているつもりです。「人のフリ見て我がフリ直せ」と昔から言われていますが、最近の「人のフリ」を見ると、「あんなことはしたくない」と思うことが多いです。たびたび取り上げましたが、私の通うスポーツジムにも傍若無人の利用者が多いようです。若者はトレーニング中にも「スマフォ」をいじっています。次の人がその器具を使いたくても、なかなか空かないことがよくありました。最近は各器具に「使用時間30分以内に」と張り紙が貼られました。定期的に放送があって、器具の独占使用を禁止するアナウンスが流れるようになって、多少は改善したようです。それでも多くの人が靴を腰の高さからそのまま床にドスンと落としています。そのため靴が床にひっくり返って、そこで膝を折って治しています。それなら初めからそうすればいいのにね。女性に多いです。ときどき若い男性がきちんと膝を折ってそっと床に靴を置いているのを見ると、その日1日幸せな気分になれます。
 そういえば、相棒・児玉先生の勤務する高校では、彼の科の3年生が授業で実習室に入ったあと、39足の下足がすべてきちんと並べられていたそうです。これは奇跡ですね。
 「君子は食事をとっている間も思いは仁の徳から離れない。どんな慌ただしいときにも、仁を念頭に置いているし、躓いて倒れるときでも仁を念頭に置いている」、これは今は無理ですが、方向だけは見失わないようにしたいです。アドラー心理学の実践に関して、修業しているといつの日にか、四六時中寝ても起きても立っても座っても、歩く姿も何もかもアドラー!ということはありえないと、野田先生がよくおっしゃっていました。日々その瞬間瞬間での、新たな決心の積み重ねしかない、と教わりました。いつか完全な悟りの日が来るのではありません。ヤスパースが言ったとおり、「毎日毎日が高価なので、瞬間が一切だとも言える」のです。

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