論語でジャーナル’24
子曰く、能(よ)く礼譲をもって国を為(おさ)めんか、何かあらん。礼譲をもって国を為むる能(あた)わずんば、礼を如何(いかん)せん。
先生が言われた。「礼によって互いに譲り合う気持ちで国事を治めることができるであろうか。そんなことはいとたやすいことだ。万一、礼によって譲り合う気持ちで国家が治められないとしたらどうだろう。そうなったら、そもそも礼そのものが何の役に立つだろうか」
※浩→「礼譲」の「譲」の字はだいたい「謙遜」という意味です。「謙遜」は「礼」の重要な要素です。『左伝』に「譲は礼の主なり、謙遜は礼の中心」とあるそうです。孔子が自問自答しているようなこの条ですが、たぶん弟子に「礼の効用」について聞かれて、こう答えたのだろう、と貝塚茂樹先生は解説されます。
私もたびたび、最近のマナーの悪さを指摘してきました。「オバサン」と称される人たちが特にひどい!マナーの良いおばさま方には申し訳ありませんが、スーパーのトレイを返すとき、多くの人がまるで怨みでもあるように、バーンと放り投げています。こういう人は茶道や華道をたしなむといいと思います。畳の上の歩き方、柄杓の持ち方、お湯の注ぎ方、元の位置への置き方、客への接し方……、日本にはあんなに素敵な文化がありながら、日常生活にほとんど活かされていません。そういえば、知り合いの女性が茶道をたしなんでいて、部屋部屋に茶花を生けていたりしましたが、お仏壇の扉は年中閉まっていて、お供えもお茶湯も、ましてやお線香を上げているのを見たことがありませんでした。お彼岸やお盆にお姉さんが里帰りしたときだけ扉が開いてお供えが並んだそうです。その人は、座布団を置くのでも、自分のお腹のあたりからストンと畳の上に落としていました。
学校の校則がときどき問題になりますが、校則は最低限の絶対厳守しないと学校共同体が破壊されそうなものに限定しないといけないです。ほかはマナー向上に努めるのがいいでしょう。実際に、相棒K先生が現在勤務される高校は、このご時世なのに、生徒諸君のマナーが最高に良いそうです。感動的な出来事が毎日のようにあります。
ここで孔子は、自問自答しているようですが、たぶん弟子に礼の効用について聞かれて、こう答えたのでしょう。K先生の高校でもこういうことがかつてあり、現在もあるのかもしれません。
仁と礼については、ネットに高校生向けのわかりやすい解説がありました。次回特集します。