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スレッドNo.379

論語でジャーナル’24

 子曰く、父母の年は知らざるべからざるなり。一つは則ちもって喜び、一つは則ちもって懼る(おそる)。

 先生が言われた。「父母の年はいつでも覚えていなくてはいけない。一方では長命を喜びながら、一方では老齢を心配する」

※浩→吉川幸次郎先生の解説に、「喜ぶのは父母の長生きを喜ぶのであり、懼れるのは、父母の行く末が長くないことを懼れるのである」とありますが、まさにこのとおりだと私も思います。
 父は55歳で逝きましたが、母は満87歳で(数え年の米寿)まで長生きしてくれました。その母の誕生日には必ずお祝いをしていました。嫁ぎ先の妹も祝電などをくれていました。わが家は田舎に住んでいるころから、マスカット温室などをたくさん持っていてリッチなご近所もしていないようなハイカラな「誕生祝い」を家族全員にしていました。超リッチな大農家である本家にもなかったお琴が母の嫁入り道具に含まれていて、床の間に立てかけてありました。同級生の「広瀬の康ちゃん」のお母さんがよくわが家へ遊びに来ていて、その人が床の間のお琴を見て欲しがっていたと、母が話していました。さすがにお琴はあげませんでしたけど(笑)。そういえば、クリスマスには私と妹の枕もとに、靴下に入ったプレゼントが置かれていました。小学校でこんな洒落たことをしている家はほとんどなかったと思います。
 在職中に、校内で何度も暴力事件を起こした男子生徒のカウンセリングをしたことがあります。その生徒の面接で、「両親の年齢」をたずねると、どちらも「わからない」という返答でした。この結果をアドラーギルドの事例検討会に持っていくと、野田先生から、「こういう家族を“離散型家族”と言う」と教えていただきました。家族には「密集型」と「離散型」とあるそうで、わが家は典型的な「密集型」家族です。嫁いだ妹の一家も「密集型」です。私の誕生日には、毎年、妹とその娘(姪))からEメールでお祝いメッセージが入ります。今はスマートフォンでLINEになりました。子どものころはあんなになついていた甥はくれません(笑)。こういう「家族の祝い事」は女系家族で継承されているでしょうか、母親次第ということでしょうか。「母の力は偉大」です。
貝塚茂樹先生の解説も胸に迫るものがありますので、「世界の名著」から引用します。
>若くして父母を失った孔子が、まだ父母が健在な若い弟子たちに向かって言った言葉であろう。「諸君の父母が生きていられるだけでも、大変な幸福なのだ。孝行をしようにも父母のいない自分には、うらやましくてならない。年取った父母を持った君たちは、せめて父母の年を覚えていなくてはならぬ」と諭したのである。「二十余年前に父母を失った私も、このごろときどき、父母が生きていたな何歳になるかと考えることがある。しかし、父母の生前には、めったに父母の年を考えなかったものであった」。孔子の父母に対する感情は、われわれ凡人の父母に抱く感情と少しも変わるところがない。その平凡な感情を自然に表現するところが、孔子の孔子たるところであろうか。(引用終わり)

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